日本巫女史/第一篇/第二章/第一節」を編集中

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第一の自然を制御し、又は支配せんとする目的の下に巫女の行った呪術は、私の知ってる限りでは、我国には実例も尠く、且つその態度も概して消極的であった。併しこれは言うまでもなく、我国の風土または気候の然らしめた結果である。勿論、我国にも、日ノ神、月ノ神、水ノ神、火ノ神、雨ノ神、風ノ神、土ノ神、木ノ神等の自然その物を信仰の対象とした神は古くから存し、更に国土の精霊と見るべき神御魂、高御魂、生魂、足魂、玉留魂等もあり、巫女は是等に対して呪術を以て、是等の神や精霊を通して制御し、又は支配し得るものと考えていたようであるが、その徴証を覓めて具体的に説明しようとすると、それが極めて稀薄なるに驚くのである。例えば、日ノ神(ここには太陽の意である)に対して『天の御陰、日の御陰』を<ruby><rb>恩頼</rb><rp>(</rp><rt>カガウ</rt><rp>)</rp></ruby>ることを祈っているが、呪術を以て天日を曇らせたとか、晴れさせたとかいうものは、一つも発見されぬ。雨風ノ神(ここには風雨そのもの)に対しても、同じく順風滋雨を念ずるばかりで、呪術を以て風を吹かせ、雨を降らせたものは、全く見当らぬ。信濃の諏訪社に行われた「風の祝」の故事や、肥後の霜ノ宮に行われた「火焚きの神事」や、及び是等に類する神事も少くないが併しその目的は、悉く消極的であって、共に悪しき風の吹かぬように、恐ろしい霜の降らぬようにと祈るのみであって、これに反して積極的に、風よ強く吹け、霜よ多く降れと呪ったものは皆無である。
第一の自然を制御し、又は支配せんとする目的の下に巫女の行った呪術は、私の知ってる限りでは、我国には実例も尠く、且つその態度も概して消極的であった。併しこれは言うまでもなく、我国の風土または気候の然らしめた結果である。勿論、我国にも、日ノ神、月ノ神、水ノ神、火ノ神、雨ノ神、風ノ神、土ノ神、木ノ神等の自然その物を信仰の対象とした神は古くから存し、更に国土の精霊と見るべき神御魂、高御魂、生魂、足魂、玉留魂等もあり、巫女は是等に対して呪術を以て、是等の神や精霊を通して制御し、又は支配し得るものと考えていたようであるが、その徴証を覓めて具体的に説明しようとすると、それが極めて稀薄なるに驚くのである。例えば、日ノ神(ここには太陽の意である)に対して『天の御陰、日の御陰』を<ruby><rb>恩頼</rb><rp>(</rp><rt>カガウ</rt><rp>)</rp></ruby>ることを祈っているが、呪術を以て天日を曇らせたとか、晴れさせたとかいうものは、一つも発見されぬ。雨風ノ神(ここには風雨そのもの)に対しても、同じく順風滋雨を念ずるばかりで、呪術を以て風を吹かせ、雨を降らせたものは、全く見当らぬ。信濃の諏訪社に行われた「風の祝」の故事や、肥後の霜ノ宮に行われた「火焚きの神事」や、及び是等に類する神事も少くないが併しその目的は、悉く消極的であって、共に悪しき風の吹かぬように、恐ろしい霜の降らぬようにと祈るのみであって、これに反して積極的に、風よ強く吹け、霜よ多く降れと呪ったものは皆無である。


[[画像:巫女祈祷.gif|thumb|朝鮮の巫女の祈祷(洪赫諄氏寄贈)]]
尤も、<ruby><rb>雩祭</rb><rp>(</rp><rt>アマゴイ</rt><rp>)</rp></ruby>だけは積極的の呪術と見られるのであるが、これが我国に行われたのは「天武紀」が初見であって、それ以前のは寡見に入らず、然も天武紀の雩祭は、著しく支那の影響を受けているものと思われるので、茲に言う固有呪法時代の埒外に属するのである。勿論、私は文献に見えぬからとて、雩祭というが如き原始的で且つ呪術的の神事は、古代から行われていたものと考えるのではあるが、これは<ruby><rb>何処</rb><rp>(</rp><rt>どこ</rt><rp>)</rp></ruby>まで言うても、考えるだけで、それ以上には、一歩も踏み出すことが出来ぬのである。「万葉集」に現われた「<ruby><rb>雨慎</rb><rp>(</rp><rt>アマツツ</rt><rp>)</rp></ruby>み」の信仰は、猶お風や霜の如く、専ら霖雨を恐れ、豪雨を避ける態度であった。従って、火ノ神、木ノ神、水ノ神に対しても、恩恵に浴せんとする祈願的呪術は在ったけれども、これを左右せんとする支配的呪術は無かったようである。国土の精霊に対しても、又その如くであったと考えるので今は省略する。但し、巫女以外の公的呪術師が、自然を制御し、又は支配した痕跡は、極めて微弱ながらも存していたように思われる。が、これは本書の柵外に出るので、態と触れぬこととした。
尤も、<ruby><rb>雩祭</rb><rp>(</rp><rt>アマゴイ</rt><rp>)</rp></ruby>だけは積極的の呪術と見られるのであるが、これが我国に行われたのは「天武紀」が初見であって、それ以前のは寡見に入らず、然も天武紀の雩祭は、著しく支那の影響を受けているものと思われるので、茲に言う固有呪法時代の埒外に属するのである。勿論、私は文献に見えぬからとて、雩祭というが如き原始的で且つ呪術的の神事は、古代から行われていたものと考えるのではあるが、これは<ruby><rb>何処</rb><rp>(</rp><rt>どこ</rt><rp>)</rp></ruby>まで言うても、考えるだけで、それ以上には、一歩も踏み出すことが出来ぬのである。「万葉集」に現われた「<ruby><rb>雨慎</rb><rp>(</rp><rt>アマツツ</rt><rp>)</rp></ruby>み」の信仰は、猶お風や霜の如く、専ら霖雨を恐れ、豪雨を避ける態度であった。従って、火ノ神、木ノ神、水ノ神に対しても、恩恵に浴せんとする祈願的呪術は在ったけれども、これを左右せんとする支配的呪術は無かったようである。国土の精霊に対しても、又その如くであったと考えるので今は省略する。但し、巫女以外の公的呪術師が、自然を制御し、又は支配した痕跡は、極めて微弱ながらも存していたように思われる。が、これは本書の柵外に出るので、態と触れぬこととした。


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