日本巫女史/第一篇/第二章/第一節」を編集中

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とある。これは明白に神を悪用し、且つ神を征服し、支配する信仰を現わしたものであって、然もその母は家族的巫女たることを明白に示している。ただ、此の呪術に就いて考うべきことは、此の母なる者は、新羅より我国に投化せる天ノ日矛に由縁ある者なるがゆえに、此の呪術は我国固有のものか、それとも新羅より将来したものが、その何れであるかの点である。併しながら、現在の学問の程度では、両者の区別を截然と断定する手掛りが無いので、今は姑らく我国固有のものとして取り扱うこととした。
とある。これは明白に神を悪用し、且つ神を征服し、支配する信仰を現わしたものであって、然もその母は家族的巫女たることを明白に示している。ただ、此の呪術に就いて考うべきことは、此の母なる者は、新羅より我国に投化せる天ノ日矛に由縁ある者なるがゆえに、此の呪術は我国固有のものか、それとも新羅より将来したものが、その何れであるかの点である。併しながら、現在の学問の程度では、両者の区別を截然と断定する手掛りが無いので、今は姑らく我国固有のものとして取り扱うこととした。


第三の、霊魂を鎮め、又は<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>ナゴ</rt><rp>)</rp></ruby>めて、自己の健康を保持増進し、又は<ruby><rb>宗族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラヤカラ</rt><rp>)</rp></ruby>の発展と幸福とを増加しようとした呪術は、我国においては太古から存していた。由来、宗教を生物心理学的に考察したクローレー(crawley)の学説として、赤松智城氏の紹介された所によると、宗教は生きんとする意志の<ruby><rb>活</rb><rp>(</rp><rt>はたら</rt><rp>)</rp></ruby>きであって、此の意志は、第一は自己保存の衝動となり、これが二つに分れて、(A)防衛衝動と(B)営養衝動となり、第二は種族保存の衝動となり、これも二つに分れて、(A)生殖衝動と(B)血族養育衝動となると説いている〔一〕。此の観点に立脚して、我国古代の巫女、及び巫女の行いし呪術に就いて考説をすすめることは、極めて興味の多いことではあるが、ここには其の余裕を有していぬので差控えるとするも、兎にも角にも、我国の原始神道においても「天之益人」として生きんとする意志が、巫女を通じて、呪術の上に、多分に現れている事は、争うことの出来ぬ事実である。広義に言えば、巫女の行うた呪術は、悉く生きん(自己または宗族)が為の現れとも見られるのである。我国の古代人が、生活価値の本質として神を崇め、更に生活価値の表現として祭(その祭の基調は呪術的である)を重んじたのは、全く此の信仰に出発しているのである。猶お霊魂を鎮め和めた呪術の目的と作法とに就いては、[[日本巫女史/第一篇/第五章/第三節|第五章第三節]]の鎮魂祭の条を参照せられたい。
第三の、霊魂を鎮め、又は<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>ナゴ</rt><rp>)</rp></ruby>めて、自己の健康を保持増進し、又は<ruby><rb>宗族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラヤカラ</rt><rp>)</rp></ruby>の発展と幸福とを増加しようとした呪術は、我国においては太古から存していた。由来、宗教を生物心理学的に考察したクローレ―(crawley)の学説として、赤松智城氏の紹介された所によると、宗教は生きんとする意志の<ruby><rb>活</rb><rp>(</rp><rt>はたら</rt><rp>)</rp></ruby>きであって、此の意志は、第一は自己保存の衝動となり、これが二つに分れて、(A)防衛衝動と(B)営養衝動となり、第二は種族保存の衝動となり、これも二つに分れて、(A)生殖衝動と(B)血族養育衝動となると説いている〔一〕。此の観点に立脚して、我国古代の巫女、及び巫女の行いし呪術に就いて考説をすすめることは、極めて興味の多いことではあるが、ここには其の余裕を有していぬので差控えるとするも、兎にも角にも、我国の原始神道においても「天之益人」として生きんとする意志が、巫女を通じて、呪術の上に、多分に現れている事は、争うことの出来ぬ事実である。広義に言えば、巫女の行うた呪術は、悉く生きん(自己または宗族)が為の現れとも見られるのである。我国の古代人が、生活価値の本質として神を崇め、更に生活価値の表現として祭(その祭の基調は呪術的である)を重んじたのは、全く此の信仰に出発しているのである。猶お霊魂を鎮め和めた呪術の目的と作法とに就いては、[[日本巫女史/第一篇/第五章/第三節|第五章第三節]]の鎮魂祭の条を参照せられたい。


第四の未来を識見するとは、即ち卜占の呪術である。我国における卜占は、諾冊二尊が蛭子を儲けしとき『今吾が生めりし御子<ruby><rb>良</rb><rp>(</rp><rt>フサ</rt><rp>)</rp></ruby>はず、猶天神の御所に白すべしと詔りたまひて、即ち共に参上りて、爾に天神の命以ちて、<ruby><rb>太占</rb><rp>(</rp><rt>フトマニ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>卜</rb><rp>(</rp><rt>ウラ</rt><rp>)</rp></ruby>へて詔りたまひつらく』とあるように〔二〕、開闢の当時から存していたものであるが、此の太占は所謂鹿卜(鹿の肩骨を灼て占ふもの)であって、専ら中臣氏が掌り、鹿卜は後に亀卜と変り、中臣氏に代って卜部氏が勤めるようになったが、これは主として男覡の作業であった。「魏志」の倭人伝の一節にも、
第四の未来を識見するとは、即ち卜占の呪術である。我国における卜占は、諾冊二尊が蛭子を儲けしとき『今吾が生めりし御子<ruby><rb>良</rb><rp>(</rp><rt>フサ</rt><rp>)</rp></ruby>はず、猶天神の御所に白すべしと詔りたまひて、即ち共に参上りて、爾に天神の命以ちて、<ruby><rb>太占</rb><rp>(</rp><rt>フトマニ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>卜</rb><rp>(</rp><rt>ウラ</rt><rp>)</rp></ruby>へて詔りたまひつらく』とあるように〔二〕、開闢の当時から存していたものであるが、此の太占は所謂鹿卜(鹿の肩骨を灼て占ふもの)であって、専ら中臣氏が掌り、鹿卜は後に亀卜と変り、中臣氏に代って卜部氏が勤めるようになったが、これは主として男覡の作業であった。「魏志」の倭人伝の一節にも、
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