「日本巫女史/第一篇/第五章/第一節」を編集中
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猶お、此の外に、伊勢貞丈翁は、『逆手は退手なり、退くことを<u>さか</u>事と云ふ、人の前へ進みて逢ふ時に、手を拍つ、これ進み見るの礼也、退く時にも又手を拍て退くこれ退出の礼也。天<small>ノ</small>逆手の事を海人の事と云説あり(中略)。色々様々の邪説まちまち也、用ゆべからず(中略)。逆手とてうしろ手に、手をうちて、人を呪詛する事也と云は、伊勢物語の本文に合ふやう作りたる説なり、是ひがごとなり。』と〔四〕、殆んど以上の諸説を否定するが如き駁論を試みている。 | 猶お、此の外に、伊勢貞丈翁は、『逆手は退手なり、退くことを<u>さか</u>事と云ふ、人の前へ進みて逢ふ時に、手を拍つ、これ進み見るの礼也、退く時にも又手を拍て退くこれ退出の礼也。天<small>ノ</small>逆手の事を海人の事と云説あり(中略)。色々様々の邪説まちまち也、用ゆべからず(中略)。逆手とてうしろ手に、手をうちて、人を呪詛する事也と云は、伊勢物語の本文に合ふやう作りたる説なり、是ひがごとなり。』と〔四〕、殆んど以上の諸説を否定するが如き駁論を試みている。 | ||
而して是等の諸説を参酌して、私の考察を述べんに、事代主命の船を踏み傾けて青柴垣に隠るるとは、即ち入水したことを意味しているのであるから〔五〕、此の場合に拍った逆手なるものが、本居翁の言う如く、吉凶の両方に用いたと解せらるべき筈はなく、さればとて、守部翁の言う如く、船を柴垣に打ち成す栄手とも考えられず、谷川翁の三義も徹底せぬ嫌いがあり、伊勢翁の退手も字義に捉われたように想われるので、所詮は賀茂翁の言われたように、凶事にのみ用いる呪術の一作法と信ずるのである。後手に就いては、「日本書紀」の一書に、海神が彦火々出見尊に教えて『此の鈎を汝の兄に与へたまはん時に、即ち<ruby><rb>貧鈎</rb><rp>(</rp><rt> | 而して是等の諸説を参酌して、私の考察を述べんに、事代主命の船を踏み傾けて青柴垣に隠るるとは、即ち入水したことを意味しているのであるから〔五〕、此の場合に拍った逆手なるものが、本居翁の言う如く、吉凶の両方に用いたと解せらるべき筈はなく、さればとて、守部翁の言う如く、船を柴垣に打ち成す栄手とも考えられず、谷川翁の三義も徹底せぬ嫌いがあり、伊勢翁の退手も字義に捉われたように想われるので、所詮は賀茂翁の言われたように、凶事にのみ用いる呪術の一作法と信ずるのである。後手に就いては、「日本書紀」の一書に、海神が彦火々出見尊に教えて『此の鈎を汝の兄に与へたまはん時に、即ち<ruby><rb>貧鈎</rb><rp>(</rp><rt>マチヽ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>滅鈎</rb><rp>(</rp><rt>ホロビチ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>落薄鈎</rb><rp>(</rp><rt>オトロヘチ</rt><rp>)</rp></ruby>と称へ、言ひ訖りて<ruby><rb>後手</rb><rp>(</rp><rt>シリヘデ</rt><rp>)</rp></ruby>に投与へたまへ、向ひてな授けたまひそ』とあるように、これは呪術的の意味が明白に且つ濃厚に含まれていたことが知られる。「釈日本紀」巻八に『今世<ruby><rb>厭</rb><rp>(</rp><rt>マジナフ</rt><rp>)</rp></ruby>物之時、必以後手也』と述べたのも、決して虚構だとは想われぬ。私は逆手は此の後手と同じほどの内容を有するものと信ずるのである。 | ||
'''二 跳躍''' | '''二 跳躍''' |