「日本巫女史/第一篇/第五章/第一節」を編集中
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本居宣長翁はこう云っている。 | 本居宣長翁はこう云っている。 | ||
: 伊勢物語に、天の逆手を拍てなむ<u>のろひ</u>居るとあると、相照して思ふに、古へに逆手を拍て、物を<ruby><rb>呪</rb><rp>(</rp><rt>カヂ</rt><rp>)</rp></ruby>る術(俗にいふ<ruby><rb>麻自那比</rb><rp>(</rp><rt>マジナヒ</rt><rp>)</rp></ruby> | : 伊勢物語に、天の逆手を拍てなむ<u>のろひ</u>居るとあると、相照して思ふに、古へに逆手を拍て、物を<ruby><rb>呪</rb><rp>(</rp><rt>カヂ</rt><rp>)</rp></ruby>る術(俗にいふ<ruby><rb>麻自那比</rb><rp>(</rp><rt>マジナヒ</rt><rp>)</rp></ruby>なり)のありしなり(中略)。こゝは船を柴垣に<ruby><rb>変化</rb><rp>(</rp><rt>ナサ</rt><rp>)</rp></ruby>むための呪術なり。さて逆手を拍と云ふ拍状は先づ常に手を拍は、掌をうつを、此は逆に翻して、掌を外になして拍を云ふか、又は常には両の掌を同じさまに対へて拍を此は左と右との上下を、逆にやり違へて拍を云か、此二の間今定めがたし。 | ||
と説き、更に逆手は吉凶ともに拍つものであること、及び逆手と後手(この事は後に云う)とは別なものであるとて僧契沖と賀茂真淵の両説を難じている〔一〕。 | と説き、更に逆手は吉凶ともに拍つものであること、及び逆手と後手(この事は後に云う)とは別なものであるとて僧契沖と賀茂真淵の両説を難じている〔一〕。 |