日本巫女史/第一篇/第五章/第三節」を編集中

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==第三節 鎮魂祭に現われたる呪術==
==第三節 鎮魂祭に現われたる呪術==


我が古代人が我が霊魂を二つに分けて、一は<ruby><rb>荒魂</rb><rp>(</rp><rt>アラミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>——即ち生ける人の魂と、二は<ruby><rb>和魂</rb><rp>(</rp><rt>ニギミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>——即ち死せる人の魂としたことは[[日本巫女史/第一篇/第一章/第五節|既述]]したが、更に此の霊魂の解釈は、時勢と共に一段と発展して、人が病魔に襲われるのは、魂が身体の居るべきところに居られぬためである。それ故に、健康を続けんには、恒に魂を中府に置くようにしなければならぬと云うので、ここに鎮魂祭なるものが発生した。然るに、これに反して、死せる人の魂は、凶癘魂となって、疎び荒ぶるものである。これを鎮めるにも同じく鎮魂の神事なるものが工夫された。而して前者は、鈿女命及びその系統に属する<ruby><rb>猿女君</rb><rp>(</rp><rt>サルメノキミ</rt><rp>)</rp></ruby>が伝え、後者は伊賀の<ruby><rb>比自岐和気</rb><rp>(</rp><rt>ヒジキワケ</rt><rp>)</rp></ruby>に属する<ruby><rb>遊部</rb><rp>(</rp><rt>アソビベ</rt><rp>)</rp></ruby>なるものが承けたのである。私はこれに就いて、猶お少しく詳述して、両者の関係と、古代の霊魂に対する信仰とを、明かにしたいと思う。
我が古代人が我が霊魂を二つに分けて、一は<ruby><rb>荒魂</rb><rp>(</rp><rt>アラミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>——即ち生ける人の魂と、二は<ruby><rb>和魂</rb><rp>(</rp><rt>ニギミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>——即ち死せる人の魂としたことは既述したが、更に此の霊魂の解釈は、時勢と共に一段と発展して、人が病魔に襲われるのは、魂が身体の居るべきところに居られぬためである。それ故に、健康を続けんには、恒に魂を中府に置くようにしなければならぬと云うので、ここに鎮魂祭なるものが発生した。然るに、これに反して、死せる人の魂は、凶癘魂となって、疎び荒ぶるものである。これを鎮めるにも同じく鎮魂の神事なるものが工夫された。而して前者は、鈿女命及びその系統に属する<ruby><rb>猿女君</rb><rp>(</rp><rt>サルメノキミ</rt><rp>)</rp></ruby>が伝え、後者は伊賀の<ruby><rb>比自岐和気</rb><rp>(</rp><rt>ヒジキワケ</rt><rp>)</rp></ruby>に属する<ruby><rb>遊部</rb><rp>(</rp><rt>アソビベ</rt><rp>)</rp></ruby>なるものが承けたのである。私はこれに就いて、猶お少しく詳述して、両者の関係と、古代の霊魂に対する信仰とを、明かにしたいと思う。


<ruby><rb>生身魂</rb><rp>(</rp><rt>イキミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>を鎮める方法に就いては、旧事本紀(第五天孫本紀)に左の如き典拠が載せてある。
<ruby><rb>生身魂</rb><rp>(</rp><rt>イキミタマ</rt><rp>)</rp></ruby>を鎮める方法に就いては、旧事本紀(第五天孫本紀)に左の如き典拠が載せてある。
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: 乃解髪跨屍、以三呼曰、我弟皇子、乃応時而活、自起以居。
: 乃解髪跨屍、以三呼曰、我弟皇子、乃応時而活、自起以居。


とあるのは〔一〕、即ち「礼記」に載する<ruby><rb>復</rb><rp>(</rp><rt>ナキタマヨバイ</rt><rp>)</rp></ruby>または「楚辞」の注にある復の思想と作法とをそのまま移されたものである〔二〕。而して此の仁徳帝の行われた呪術的作法が、日本紀の編纂される折に後人から追記されたものかどうか、それは姑らく別とするも、此の呪術が陰陽道の影響を受けていることだけは明確である。従って斯うした事のあったことなどを考え併せると、生者に対して行われたとある鎮魂も、始めは死者に対して行われたものではなかったかという疑いの起るのである。前に引用した「旧事紀」の、瑞宝十種の呪術のうちに「死人反生」とあるのは此の事を想わせる。更に天武紀十四年十一月の条に、
とあるのは〔一〕、即ち「礼記」に載する<ruby><rb>復</rb><rp>(</rp><rt>ナキタマヨバイ</rt><rp>)</rp></ruby>または「楚辞」の注にある復の思想と作法とをそのまま移されたものである〔二〕。而して此の仁徳帝の行われた呪術的作法が、日本紀の編纂される折に後人から追記されたものかどうか、それは姑らく別とするも、此の呪術が陰陽道の影響を受けていることだけは明確である。従って斯うした事のあったことなどを考え併せると、生者に対して行われたとある鎮魂も、始めは生者に対して行われたものではなかったかという疑いの起るのである。前に引用した「旧事紀」の、瑞宝十種の呪術のうちに「死人反生」とあるのは此の事を想わせる。更に天武紀一四年十一月の条に、


: 丙寅、法蔵法師全鐘献<ruby><rb>白朮</rb><rp>(</rp><rt>オケラ</rt><rp>)</rp></ruby>煎、是日為天皇招魂。
: 丙寅、法蔵法師全鐘献<ruby><rb>白朮</rb><rp>(</rp><rt>オケラ</rt><rp>)</rp></ruby>煎、是日為天皇招魂。
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とあるが、当時の用語例より云えば、招魂は死者に対して行ったものである。而して後世の書ではあるが、兼好の「徒然草」に、
とあるが、当時の用語例より云えば、招魂は死者に対して行ったものである。而して後世の書ではあるが、兼好の「徒然草」に、


: 真言書の中に呼子鳥の鳴くは招魂の法をば行ふ(中山曰。此の事に就いて[[日本巫女史/第二篇/第一章/第二節|後章]]に述べる)次第あり。
: 真言書の中に呼子鳥の鳴くは招魂の法をば行ふ(中山曰。此の事に就いて後章に述べる)次第あり。


とあるのも、其の事を裏付ているように考えられるのである。
とあるのも、其の事を裏付ているように考えられるのである。
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而して是れに対する私の管見を極めて率直に言えば、猿女系の鎮魂祭も、元は遊部系の鎮魂の神事と同じく、死魂に対して行われたのであるが、神道が固定すると共に、墓祭葬宴であった天磐戸の神事が、専ら天照神の復活または再現のこととのみ解釈せられるようになったので、遂に両者を截然と区別するようになったのであろうと考えるのである。勿論、斯う言うものの現人を神と崇め、現人の魂を鎮めることの無かったと主張するのではなく、ただ鈿女命の行うた磐戸前の祭儀はそうであったろうと言うまでで、その点誤解なきよう敢て附記する次第である。
而して是れに対する私の管見を極めて率直に言えば、猿女系の鎮魂祭も、元は遊部系の鎮魂の神事と同じく、死魂に対して行われたのであるが、神道が固定すると共に、墓祭葬宴であった天磐戸の神事が、専ら天照神の復活または再現のこととのみ解釈せられるようになったので、遂に両者を截然と区別するようになったのであろうと考えるのである。勿論、斯う言うものの現人を神と崇め、現人の魂を鎮めることの無かったと主張するのではなく、ただ鈿女命の行うた磐戸前の祭儀はそうであったろうと言うまでで、その点誤解なきよう敢て附記する次第である。


; 〔註一〕 : 「仁徳紀」に載せてある。
; 〔註一〕 : 「応神紀」に載せてある。
; 〔註二〕 : 「曲礼」「楚辞」の註に、此の事が詳記してあるが、有名な事であるだけに、原文を引用することは見合せた。
; 〔註二〕 : 「曲礼」「楚辞」の註に、此の事が詳記してあるが、有名な事であるだけに、原文を引用することは見合せた。


[[Category:中山太郎]]
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