「日本巫女史/第一篇/第五章/第三節」を編集中
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: 乃解髪跨屍、以三呼曰、我弟皇子、乃応時而活、自起以居。 | : 乃解髪跨屍、以三呼曰、我弟皇子、乃応時而活、自起以居。 | ||
とあるのは〔一〕、即ち「礼記」に載する<ruby><rb>復</rb><rp>(</rp><rt>ナキタマヨバイ</rt><rp>)</rp></ruby> | とあるのは〔一〕、即ち「礼記」に載する<ruby><rb>復</rb><rp>(</rp><rt>ナキタマヨバイ</rt><rp>)</rp></ruby>または「楚辞」の注にある復の思想と作法とをそのまま移されたものである〔二〕。而して此の仁徳帝の行われた呪術的作法が、日本紀の編纂される折に後人から追記されたものかどうか、それは姑らく別とするも、此の呪術が陰陽道の影響を受けていることだけは明確である。従って斯うした事のあったことなどを考え併せると、生者に対して行われたとある鎮魂も、始めは生者に対して行われたものではなかったかという疑いの起るのである。前に引用した「旧事紀」の、瑞宝十種の呪術のうちに「死人反生」とあるのは此の事を想わせる。更に天武紀一四年十一月の条に、 | ||
: 丙寅、法蔵法師全鐘献<ruby><rb>白朮</rb><rp>(</rp><rt>オケラ</rt><rp>)</rp></ruby>煎、是日為天皇招魂。 | : 丙寅、法蔵法師全鐘献<ruby><rb>白朮</rb><rp>(</rp><rt>オケラ</rt><rp>)</rp></ruby>煎、是日為天皇招魂。 | ||
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而して是れに対する私の管見を極めて率直に言えば、猿女系の鎮魂祭も、元は遊部系の鎮魂の神事と同じく、死魂に対して行われたのであるが、神道が固定すると共に、墓祭葬宴であった天磐戸の神事が、専ら天照神の復活または再現のこととのみ解釈せられるようになったので、遂に両者を截然と区別するようになったのであろうと考えるのである。勿論、斯う言うものの現人を神と崇め、現人の魂を鎮めることの無かったと主張するのではなく、ただ鈿女命の行うた磐戸前の祭儀はそうであったろうと言うまでで、その点誤解なきよう敢て附記する次第である。 | 而して是れに対する私の管見を極めて率直に言えば、猿女系の鎮魂祭も、元は遊部系の鎮魂の神事と同じく、死魂に対して行われたのであるが、神道が固定すると共に、墓祭葬宴であった天磐戸の神事が、専ら天照神の復活または再現のこととのみ解釈せられるようになったので、遂に両者を截然と区別するようになったのであろうと考えるのである。勿論、斯う言うものの現人を神と崇め、現人の魂を鎮めることの無かったと主張するのではなく、ただ鈿女命の行うた磐戸前の祭儀はそうであったろうと言うまでで、その点誤解なきよう敢て附記する次第である。 | ||
; 〔註一〕 : | ; 〔註一〕 : 「応神紀」に載せてある。 | ||
; 〔註二〕 : 「曲礼」「楚辞」の註に、此の事が詳記してあるが、有名な事であるだけに、原文を引用することは見合せた。 | ; 〔註二〕 : 「曲礼」「楚辞」の註に、此の事が詳記してあるが、有名な事であるだけに、原文を引用することは見合せた。 | ||
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