日本巫女史/第一篇/第五章/第二節」を編集中

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由来、巫女が神懸り状態に入る目的は、神の憑り代となって、託宣をすることに存していて、それ以外には殆んど此の作法を必要としていぬのである。それにも拘らず、此の鈿女命の場合に限って、それを欠いているのは如何なる次第であるか、これには又た相当の理由が存しているのである。
由来、巫女が神懸り状態に入る目的は、神の憑り代となって、託宣をすることに存していて、それ以外には殆んど此の作法を必要としていぬのである。それにも拘らず、此の鈿女命の場合に限って、それを欠いているのは如何なる次第であるか、これには又た相当の理由が存しているのである。


天照神の磐戸隠れに就いては、昔から学者の間に異説がある。本居翁の如く、神代巻の総てを一種の信仰と感激とを以て、その在るがままに解釈したものは、これを天照神が素尊の暴逆を怒って、磐戸に隠れたものとしているが、新井白石翁の如く、神代の記事は悉く歴史なりという立場にある者は、此の事件を天照神の神避りとなし、斎庭の儀式は葬祭であると断じている〔一〕。更に、高木敏雄氏のように、比較神話学から此の事を説き、素尊を暴風雨神となし、『暴風雨退散して、天日再び輝ける状を記すものなり』と論ずるあれば(二)、津田左右吉氏は、比較民俗学の観点から此の事象は蛮民俗の間に見る、日蝕の祭儀であると説く者もある〔三〕。
天照神の岩戸隠れに就いては、昔から学者の間に異説がある。本居翁の如く、神代巻の総てを一種の信仰と感激とを以て、その在るがままに解釈したものは、これを天照神が素尊の暴逆を怒って、磐戸に隠れたものとしているが、新井白石翁の如く、神代の記事は悉く歴史なりという立場にある者は、此の事件を天照神の神避りとなし、斎庭の儀式は葬祭であると断じている〔一〕。更に、高木敏雄氏のように、比較神話学から此の事を説き、素尊を暴風雨神となし、『暴風雨退散して、天日再び輝ける状を記すものなり』と論ずるあれば(二)、津田左右吉氏は、比較民俗学の観点から此の事象は蛮民俗の間に見る、日蝕の祭儀であると説く者もある〔三〕。


而して私は、是等の四説の中から、第二の新井白石の説を採る者であって、磐戸隠れは、一種の墓前祭(我国の祭祀の起原が、社前祭で無くして、墓前祭で在ったことは後節に述べる)であったと信ずるのである。然らば何故に墓前祭にかかる巫女の神憑りが必要であったかというに、これには又相当に重要なる理由が存していたのである。
而して私は、是等の四説の中から、第二の新井白石の説を採る者であって、岩戸隠れは、一種の墓前祭(我国の祭祀の起原が、社前祭で無くして、墓前祭で在ったことは後節に述べる)であったと信ずるのである。然らば何故に墓前祭にかかる巫女の神憑りが必要であったかというに、これには又相当に重要なる理由が存していたのである。


元来、我が古代では、人が死ぬと、その屍体を直ちに葬ることなく、八日八夜の間は、<ruby><rb>殯葬</rb><rp>(</rp><rt>モガリ</rt><rp>)</rp></ruby>(<ruby><rb>殯葬</rb><rp>(</rp><rt>モガリ</rt><rp>)</rp></ruby>の民俗学的意義は後章に述べる)と称して<ruby><rb>梓宮</rb><rp>(</rp><rt>アラキノミヤ</rt><rp>)</rp></ruby>に置く習俗があった〔四〕。而して此の殯葬の期間だけは、<ruby><rb>親族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>宗族</rb><rp>(</rp><rt>ヤカラ</rt><rp>)</rp></ruby>が集って、一方死霊を慰め和げるために、一方遺族の悲しみと憂いを払うために、盛んに歌舞宴遊するのを習わしとしたのである。「古事記」に、天若日子が横死せるを殯葬せし条に、
元来、我が古代では、人が死ぬと、その屍体を直ちに葬ることなく、八日八夜の間は、<ruby><rb>殯葬</rb><rp>(</rp><rt>モガリ</rt><rp>)</rp></ruby>(<ruby><rb>殯葬</rb><rp>(</rp><rt>モガリ</rt><rp>)</rp></ruby>の民俗学的意義は後章に述べる)と称して<ruby><rb>梓宮</rb><rp>(</rp><rt>アラキノミヤ</rt><rp>)</rp></ruby>に置く習俗があった〔四〕。而して此の殯葬の期間だけは、<ruby><rb>親族</rb><rp>(</rp><rt>ウカラ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>宗族</rb><rp>(</rp><rt>ヤカラ</rt><rp>)</rp></ruby>が集って、一方死霊を慰め和げるために、一方遺族の悲しみと憂いを払うために、盛んに歌舞宴遊するのを習わしとしたのである。「古事記」に、天若日子が横死せるを殯葬せし条に、
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