日本巫女史/第一篇/第五章/第五節」を編集中

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性器崇拝の当然の派生として、異相の性器を有する巫女ほど、その呪力の増加するものであると考える信仰が伴っていたことも、此の場合に逸することの出来ぬ問題である。而して此の信仰は「七難の<ruby><rb>揃毛</rb><rp>(</rp><rt>ソソゲ</rt><rp>)</rp></ruby>」という名で呼ばれているので、私も此の通称に従うこととした。勿論、七難とは、奈良朝から平安朝へかけて民間信仰となった仏説仁王経の七難即滅七福即生の経文から出た語であるから、これを以て仏教渡来以前の古代の信仰に冠することは元より妥当を欠いているが、茲にはその七難の揃毛の古い相——即ち我国固有の信仰を記すにとどめ、詳細は仁王信仰の隆盛を極めた平安朝において記述する。誤解を防ぐために敢て附言する次第である。
性器崇拝の当然の派生として、異相の性器を有する巫女ほど、その呪力の増加するものであると考える信仰が伴っていたことも、此の場合に逸することの出来ぬ問題である。而して此の信仰は「七難の<ruby><rb>揃毛</rb><rp>(</rp><rt>ソソゲ</rt><rp>)</rp></ruby>」という名で呼ばれているので、私も此の通称に従うこととした。勿論、七難とは、奈良朝から平安朝へかけて民間信仰となった仏説仁王経の七難即滅七福即生の経文から出た語であるから、これを以て仏教渡来以前の古代の信仰に冠することは元より妥当を欠いているが、茲にはその七難の揃毛の古い相——即ち我国固有の信仰を記すにとどめ、詳細は仁王信仰の隆盛を極めた平安朝において記述する。誤解を防ぐために敢て附言する次第である。


讃岐国大内郡誉水村大字水主の<ruby><rb>水主</rb><rp>(</rp><rt>ミズシ</rt><rp>)</rp></ruby>神社の祭神は比売神であるが、俚俗の伝えに、此の神は<ruby><rb>御陰</rb><rp>(</rp><rt>ミホド</rt><rp>)</rp></ruby>の毛が甚だ長いので、親神が恥じ給い、独木船に乗せて海に放ち流してしまった。それで比売神は、何処ともなく流れ漂うた末に、同郡(?)馬篠の浜に着いた所、同地の土人が比売神の上陸を拒み、船を突いて沖へ流したので、それより東方に漂い、同郡安戸ノ浦へ着き、そこより上陸して鎮座すべき浄地を其処彼処と覓め給うて、遂に水主村に留り、後に水主神社と祭られたのであると云うている〔一二〕。此の俚伝に残った比売神の正体が、地方<u>わたらい</u>の巫女であることは、多くの説明を俟たずして、直ちに会得されるものがある。殊に陰毛が甚だ長かったということは、即ち異相の性器の持主で、然も呪力の効験なる([[日本巫女史/第二篇/第五章/第三節|後章]]の七難の揃毛を参照せられたい)ものと信じられていた為めである。
讃岐国大内郡誉水村大字水主の<ruby><rb>水主</rb><rp>(</rp><rt>ミズシ</rt><rp>)</rp></ruby>神社の祭神は比売神であるが、俚俗の伝えに、此の神は<ruby><rb>御陰</rb><rp>(</rp><rt>ミホド</rt><rp>)</rp></ruby>の毛が甚だ長いので、親神が恥じ給い、独木船に乗せて海に放ち流してしまった。それで比売神は、何処ともなく流れ漂うた末に、同郡(?)馬篠の浜に着いた所、同地の土人が比売神の上陸を拒み、船を突いて沖へ流したので、それより東方に漂い、同郡安戸ノ浦へ着き、そこより上陸して鎮座すべき浄地を其処彼処と覓め給うて、遂に水主村に留り、後に水主神社と祭られたのであると云うている〔一二〕。此の俚伝に残った比売神の正体が、地方<u>わたらい</u>の巫女であることは、多くの説明を俟たずして、直ちに会得されるものがある。殊に陰毛が甚だ長かったということは、即ち異相の性器の持主で、然も呪力の効験なる(後章の七難の揃毛を参照せられたい)ものと信じられていた為めである。


全体、私が改めて言うまでもなく、我国にも、毛髪が一種の呪力を有していたものと考えた思想は、古代からあった。神代に素尊が罪を贖うために、八束ノ髯を斬ったのは、ただにその威厳を損じて、懲罰に換えるというだけの意味ではなくして、素尊にとっては、髯は一種の<ruby><rb>生命の指標</rb><rp>(</rp><rt>ライフ・インデックス</rt><rp>)</rp></ruby>であるとも云えるのである。大己貴命が素尊の女なる須勢理媛命と奔るとき、素尊の髯を室戸に繋いだとあるのは、私にそう考えさせる暗示を与えているのである。<ruby><rb>案山子</rb><rp>(</rp><rt>カカシ</rt><rp>)</rp></ruby>の語源も<ruby><rb>嗅</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby>がしであって、古く人毛を焼いた匂いを鳥獣が恐れて、作物に近づかぬ呪術的の意味が含まれていたのである〔一四〕。「孝徳紀」の大化の詔の一節に於て『為亡人断髪刺股』ことを禁じたのは、髪を断ることは肉に活きても霊に死ぬと云う意味を現したからの迷信を停めるためであった。従って陰毛の甚だ長かったことが、呪力の強烈であるとした考慮のうちには、此の種の毛髪に対する信仰の多分に加っていることを注意しなければならぬ。
全体、私が改めて言うまでもなく、我国にも、毛髪が一種の呪力を有していたものと考えた思想は、古代からあった。神代に素尊が罪を贖うために、八束ノ髯を斬ったのは、ただにその威厳を損じて、懲罰に換えるというだけの意味ではなくして、素尊にとっては、髯は一種の<ruby><rb>生命の指標</rb><rp>(</rp><rt>ライフ・インデックス</rt><rp>)</rp></ruby>であるとも云えるのである。大己貴命が素尊の女なる須勢理媛命と奔るとき、素尊の髯を室戸に繋いだとあるのは、私にそう考えさせる暗示を与えているのである。<ruby><rb>案山子</rb><rp>(</rp><rt>カカシ</rt><rp>)</rp></ruby>の語源も<ruby><rb>嗅</rb><rp>(</rp><rt>か</rt><rp>)</rp></ruby>がしであって、古く人毛を焼いた匂いを鳥獣が恐れて、作物に近づかぬ呪術的の意味が含まれていたのである〔一四〕。「孝徳紀」の大化の詔の一節に於て『為亡人断髪刺股』ことを禁じたのは、髪を断ることは肉に活きても霊に死ぬと云う意味を現したからの迷信を停めるためであった。従って陰毛の甚だ長かったことが、呪力の強烈であるとした考慮のうちには、此の種の毛髪に対する信仰の多分に加っていることを注意しなければならぬ。
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