日本巫女史/第一篇/第五章/第四節」を編集中

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私は昭和二年十月に白鳥庫吉氏が東洋文庫において、前後九回にわたり試みられた「日本周囲民族の古伝説より見たる記紀の神代巻」とも題すべき講演を聴いて、実に多大なる啓発を受けた。就中、大己貴命の元に少彦名命が来られた際に、此の神の名を知るものないので、<ruby><rb>久延毘古</rb><rp>(</rp><rt>クエビコ</rt><rp>)</rp></ruby>を召して問いしに、此の神は<ruby><rb>産霊神</rb><rp>(</rp><rt>ムスビノカミ</rt><rp>)</rp></ruby>の御子であると答えたとあるが、此の久延毘古は『足は行かねども、天下の事を尽く知れる神にて、今に山田の<ruby><rb>曾富騰</rb><rp>(</rp><rt>ソボト</rt><rp>)</rp></ruby>といふ』とあるより推せば〔一〕、俚俗に<ruby><rb>案山子</rb><rp>(</rp><rt>カカシ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うものに相当しているのである。然らば、何故に此の案山子が天下の事を尽く知るほどの神通力を有していたかというに、これは西洋に行われた<ruby><rb>水晶占</rb><rp>(</rp><rt>クリスタル・ゲージング</rt><rp>)</rp></ruby>と同じく〔二〕、水を見詰めて物を占うとある思想と共通のもので、案山子が常に水面を見ているところから、斯かる神話を構成したのであろうと云う一条は、私の耳を聳たせ、目を睜かせずには置かなかったのである。
私は昭和二年十月に白鳥庫吉氏が東洋文庫において、前後九回にわたり試みられた「日本周囲民族の古伝説より見たる記紀の神代巻」とも題すべき講演を聴いて、実に多大なる啓発を受けた。就中、大己貴命の元に少彦名命が来られた際に、此の神の名を知るものないので、<ruby><rb>久延毘古</rb><rp>(</rp><rt>クエビコ</rt><rp>)</rp></ruby>を召して問いしに、此の神は<ruby><rb>産霊神</rb><rp>(</rp><rt>ムスビノカミ</rt><rp>)</rp></ruby>の御子であると答えたとあるが、此の久延毘古は『足は行かねども、天下の事を尽く知れる神にて、今に山田の<ruby><rb>曾富騰</rb><rp>(</rp><rt>ソボト</rt><rp>)</rp></ruby>といふ』とあるより推せば〔一〕、俚俗に<ruby><rb>案山子</rb><rp>(</rp><rt>カカシ</rt><rp>)</rp></ruby>と云うものに相当しているのである。然らば、何故に此の案山子が天下の事を尽く知るほどの神通力を有していたかというに、これは西洋に行われた<ruby><rb>水晶占</rb><rp>(</rp><rt>クリスタル・ゲージング</rt><rp>)</rp></ruby>と同じく〔二〕、水を見詰めて物を占うとある思想と共通のもので、案山子が常に水面を見ているところから、斯かる神話を構成したのであろうと云う一条は、私の耳を聳たせ、目を睜かせずには置かなかったのである。


私は白鳥氏の此の講演を聴かぬ以前から、我国に古く水を見て一種の占いをする<ruby><rb>水占</rb><rp>(</rp><rt>ウォーター・ゲージング</rt><rp>)</rp></ruby>の方法のあったこと、及び此の占法が巫女の呪術として行われていたことを、記録または民間伝承の方面から夙に知っていたので、これに関する材料も相当に集めて持っていたのであるが、久延毘古の神通力がこれであるとまでは少しも気がつかず、同氏の講演によって始めて案山子の呪力を知ったと同時に、後世の巫女が「<ruby><rb>外法箱</rb><rp>(</rp><rt>ゲホウバコ</rt><rp>)</rp></ruby>」と称する呪具のうちに、小さき案山子を入れて置く(此の事は後章に述べる)理由が判然したのである。此の点に関しては、厚く白鳥氏の学恩を感謝する次第である。而して我国では此の水を見て行うた呪術を古く「<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>るべの水」と称していたので、暫らく此の名を以て代表させることとしたが、更に民間伝承では、小野ノ小町の姿見の井とか、和泉式部の化粧水とか、水鏡の天神とか種々なる名で呼んでいたのである。
私は白鳥氏の此の講演を聴かぬ以前から、我国に古く水を見て一種の占いをする<ruby><rb>水占</rb><rp>(</rp><rt>ウォーター・ゲージング</rt><rp>)</rp></ruby>の方法のあったこと、及び此の占法が巫女の呪術として行われていたことを、記録または民間伝承の方面から夙に知っていたので、これに関する材料も相当に集めて持っていたのであるが、久延毘古の神通力がこれであるとまでは少しも気がつかず、同氏の講演によって始めて案山子の呪力を知ったと同時に、後世の巫女が「<ruby><rb>外法箱</rb><rp>(</rp><rt>ゲホウバコ</rt><rp>)</rp></ruby>」と称する呪具のうちに、小さき案山子を入れておく(此の事は後章に述べる)理由が判然したのである。此の点に関しては、厚く白鳥氏の学恩を感謝する次第である。而して我国では此の水を見て行うた呪術を古く「<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>るべの水」と称していたので、暫らく此の名を以て代表させることとしたが、更に民間伝承では、小野ノ小町の姿見の井とか、和泉式部の化粧水とか、水鏡の天神とか種々なる名で呼んでいたのである。


我国で水を見て物を占うたと思わるる記事の初見は〔三〕、「仲哀紀」八年九月の条の、仲哀帝が神功皇后に神託ありしにもかかわらず、新羅国の在ることを否認された折、
我国で水を見て物を占うたと思わるる記事の初見は〔三〕、「仲哀紀」八年九月の条の、仲哀帝が神功皇后に神託ありしにもかかわらず、新羅国の在ることを否認された折、
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