「日本巫女史/第一篇/第五章/第四節」を編集中
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神后が得られた剣珠の用途は、私の独断では、神后が水晶占をなされたものであって、然も此の占いによって神意を問い、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず抜くの捷利を博し、御女性でありながら、万里の波濤を越え、国威を海外にまで輝かされたので、如意珠とも称したものと拝察されるのである。神后は、古史の伝うる所によると、新羅より投化した天ノ日矛の第五世息長家より出でて、皇后に立たせられたお方である。従って、是等の占法が、我国固有のものか、それとも息長家に伝えられた新羅の占法であるか、現今からはその各れとも判断すべき史料も残っていぬが、兎に角に神后が卓越せる占術を会得されていたことだけは、今からでも恐察せられるのである。 | 神后が得られた剣珠の用途は、私の独断では、神后が水晶占をなされたものであって、然も此の占いによって神意を問い、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず抜くの捷利を博し、御女性でありながら、万里の波濤を越え、国威を海外にまで輝かされたので、如意珠とも称したものと拝察されるのである。神后は、古史の伝うる所によると、新羅より投化した天ノ日矛の第五世息長家より出でて、皇后に立たせられたお方である。従って、是等の占法が、我国固有のものか、それとも息長家に伝えられた新羅の占法であるか、現今からはその各れとも判断すべき史料も残っていぬが、兎に角に神后が卓越せる占術を会得されていたことだけは、今からでも恐察せられるのである。 | ||
巫女が憑るべの水を利用して呪術を行うたことを明白にするには、猶おその予備知識として、我が古代にあっては常人は鏡を見ることを忌み恐れた信仰のあったことを説くことが便宜が多い。即ち古代にあっては、神に仕える巫女以外の常人は、鏡を見ることを悉く忌み恐れていたのであって、それは恰も明治初期の人々が写真を撮るのを忌み恐れたのと同じ心理で、鏡を見ると己れの影を薄くし(古代人は影は生命の一つと信じていた、ヴントの謂ゆる影象魂がそれである)延いて精力を減じ、遂には生命までも危くするものだと考えていたのである〔八〕。反言すれば、常に鏡を所有し、これを見ることのできたのは巫女だけであって、巫女は神の択んだ女性として、鏡を見ても差支ないと信じていたのである。而して此の鏡に対する信仰は、巫女が呪術を行うために利用した事から一転して、呪術——殊に他人を呪詛するときに限り用いられるようになってきて、民間に<ruby><rb>水鏡天神</rb><rp>(</rp><rt>ミズカガミテンジン</rt><rp>)</rp></ruby>の迷信や、[[:画像:蠱術に養われた丑ノ刻参り.gif|丑ノ刻参り]]の女性は、必ず胸間に鏡を懸ける俗信を生んだのである。水鏡の天神に就いては、既に私見を発表したことがあるので、茲にそれを再び繰り返す勇気はないが〔九〕、要するに、他人を呪詛する折に水鏡を見たという古い思想を、型の上で示したものに外ならぬのである。 | |||
鏡の原始的用法を今さら説く必要もないが、その発生当時にあっては、鏡は陽火を取るのが目的であって、決して顔面を映すためでは無かったのである〔一〇〕。而して此の思想は、稀薄ながらも、我国にも存していた。併しながら巫女が水を見詰めて呪術を行うた(此の内容は明確には判らぬけれども、水面を凝視していると錯覚を起して、種々な影象が網膜に映じ、それによって禍福吉凶を占ったものらしい。是が実例とも見るべきものに就いては後段に述べる)ことは、恐らく鏡が発明されぬ以前から存していたものであろう。我国の古代の巫女が此の種の呪術を行うたと想われるものが、小野小町の姿見の池、和泉式部の化粧水などと称する民間伝承に残っている。小町や式部に関する此の種の伝承は、私が蒐めただけでも無慮百を以て数うるほど夥しいものである。従ってそれを一々茲に掲げて、伝承の分化、分布、及びこれに伴う批判を加えることは、到底なし能わぬことなので、今は重なるもの一二を挙げ、片鱗を以て全龍を推すこととする〔一一〕。 | 鏡の原始的用法を今さら説く必要もないが、その発生当時にあっては、鏡は陽火を取るのが目的であって、決して顔面を映すためでは無かったのである〔一〇〕。而して此の思想は、稀薄ながらも、我国にも存していた。併しながら巫女が水を見詰めて呪術を行うた(此の内容は明確には判らぬけれども、水面を凝視していると錯覚を起して、種々な影象が網膜に映じ、それによって禍福吉凶を占ったものらしい。是が実例とも見るべきものに就いては後段に述べる)ことは、恐らく鏡が発明されぬ以前から存していたものであろう。我国の古代の巫女が此の種の呪術を行うたと想われるものが、小野小町の姿見の池、和泉式部の化粧水などと称する民間伝承に残っている。小町や式部に関する此の種の伝承は、私が蒐めただけでも無慮百を以て数うるほど夥しいものである。従ってそれを一々茲に掲げて、伝承の分化、分布、及びこれに伴う批判を加えることは、到底なし能わぬことなので、今は重なるもの一二を挙げ、片鱗を以て全龍を推すこととする〔一一〕。 |