「日本巫女史/第一篇/第八章/第一節」を編集中
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; 〔註五〕 : 「源平盛衰記」にある有名な話である。 | ; 〔註五〕 : 「源平盛衰記」にある有名な話である。 | ||
; 〔註六〕 : これも「信長記」に載せてある有名な話である。 | ; 〔註六〕 : これも「信長記」に載せてある有名な話である。 | ||
; 〔註七〕 : | ; 〔註七〕 : 此の条の「日本書紀」の書き方は、頗る曖昧であつて、一寸見ると、女軍は皇師に属せずして、敵軍に在ったように考えられるのであるが、同じ「神武紀」の一節に「椎根津彦計之曰、今者宜先遣我女軍云云。天皇善其策、乃出女軍以臨之」とあるのから推すと、女軍が天皇に隸属していたことが明白に知られるのである。 | ||
; 〔註八〕 : 弘安の蒙古襲来は、全く国難であって、上は畏くも天皇を始めとし、下は国内の社寺共に、神仏を祈念したもので、塙保己一の編纂した「蛍蝿抄」五巻は、殆んど全巻この種の記事である。仏教の渡来と、陰陽道の普及と、修験道の発達とは、漸く巫女に代つて、此の種のことを勤めるようになったのであるが、それでも猶お幾分でも、古い名残りをとどめているのである。 | ; 〔註八〕 : 弘安の蒙古襲来は、全く国難であって、上は畏くも天皇を始めとし、下は国内の社寺共に、神仏を祈念したもので、塙保己一の編纂した「蛍蝿抄」五巻は、殆んど全巻この種の記事である。仏教の渡来と、陰陽道の普及と、修験道の発達とは、漸く巫女に代つて、此の種のことを勤めるようになったのであるが、それでも猶お幾分でも、古い名残りをとどめているのである。 | ||
; 〔註九〕 : 前記の「蛍蝿抄」巻五(史籍集覽本)に拠った。 | ; 〔註九〕 : 前記の「蛍蝿抄」巻五(史籍集覽本)に拠った。 |