日本巫女史/第一篇/第八章/第三節」を編集中

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'''八 オナリと嫁殺し田の関係'''
'''八 オナリと嫁殺し田の関係'''


我国の各地に残っている嫁殺し田の伝説は、オナリの民俗の一派生として考うべきものである。反言すれば、オナリの民俗の曾て存したことが、此の嫁殺し田の伝説によって、その確実性を裏書するものと信ずるのである。陸前国宮城郡岩切村大字小鶴に小鶴ヶ池というがある。昔、多賀城下の富豪の姑が嫁の小鶴を酷遇し、何町歩とある田植を小鶴一人に一日中に済ませと命じた。小鶴は幼児を背負うたまま終日挿秧するうち、幼児は餓死し、自分も田植が済まぬので、姑に責められるのが悲しく池に投じて死んだ。それで此の池をかく呼ぶようになったのである〔三五〕。而してこれと類似した伝説が同国栗原郡尾松村大字桜田にもあると、近刊の「栗原郡誌」に、安永七年七月の書上の風土記を引用して詳記してある。下総国印旛郡船穂村大字松崎に千把ヶ池というがあり、その池畔に大きな松が一本ある。これは昔田植女が、一日千把の苗を植えよと命ぜられたが果さずして死んだのを埋め、その墓印に植えた松だと称している〔三六〕。この話は前に載せた子守の伝説と同じものが、かく二つになって語り残されたのであろう。信州更級郡更府村大字三水の泣き池は、悪心の姑が嫁を虐待し、持田を一日に植えよと無理を言われて嫁が死んで池となり、その泣き声が聞ゆるので斯く名づけたのである〔三七〕。駿河国安倍郡安東村大字北安東字柳新田に二反歩余の水田がある。嫁を憎む姑のために嫁が田植最中に死んだところで、今に田を耕作すると祟りがあるとて、今に除け地になっている〔三八〕。遠州掛川町在の嫁ヶ田も同じ頑愚な姑に挿秧の無理を強いられ、嫁が田で悶死した故地である〔三九〕。因幡国八頭郡大御門村大字西御門にも嫁殺し田というのがあって、その伝説は他のそれと全く同じである〔四〇〕。安芸国賀茂郡志和掘村にお杉畷というがある。昔お杉という女性が一人で五反余歩の田植中に死んだので、村民これを憐み、杉を栽えて記念とした〔四一〕。而して茲に注意すべきことが、是等の嫁ということは、必ずしも今日の新婦とか、花嫁とかいう意味ではなくして、古くヨメとは一般の未婚者を指していた点である。ヨメの語が、嫁の意に固定したので、意地悪の姑のことが加えられたのであるが〔四二〕、此のヨメは家族的の巫女と見るのが正しいのである。
我国の各地に残っている嫁殺し田の伝説は、オナリの民俗の一派生として考うべきものである。反言すれば、オナリの民俗の曾て存したことが、此の嫁殺し田の伝説によって、その確実性を裏書するものと信ずるのである。陸前国宮城郡岩切村大字小鶴に小鶴ヶ池というがある。昔、多賀城下の富豪の姑が嫁の小鶴を酷遇し、何町歩とある田植を小鶴一人に一日中に済ませと命じた。小鶴は幼児を背負うたまま終日挿秧するうち、幼児は餓死し、自分も田植が済まぬので、姑に責められるのが悲しく池に投じて死んだ。それで此の池をかく呼ぶようになったのである〔三五〕。而してこれと類似した伝説が同国栗原郡尾松村大字桜田にもあると、近刊の「栗原郡誌」に、安永七年七月の書上の風土記を引用して詳記してある。下総国印旛郡船穂村大字松崎に千把ヶ池というがあり、その池畔に大きな松が一本ある。これは昔田植女が、一日千把の苗を植えよと命ぜられたが果さずして死んだのを埋め、その墓印に植えた松だと称している〔三六〕。この話は前に載せた子守の伝説と同じものが、かく二つになって語り残されたのであろう。信州更級郡更府村大字三水の泣き池は、悪心の姑が嫁を虐待し、持田を一日に植えよと無理を言われて嫁が死んで池となり、その泣き声が聞ゆるので斯く名づけたのである〔三七〕。駿河国安倍郡安東村大字北安東字柳新田に二反歩余の水田がある。嫁を憎む姑のために嫁が田植最中に死んだところで、今に田を耕作すると祟りがあるとて、今に除け地になっている〔三八〕。遠州掛川町在の嫁ヶ田も同じ頑愚な姑に挿秧の無理を強いられ、嫁が田で悶死した故地である〔三九〕。因幡国八頭郡大御門村大字西御門にも嫁殺し田というのがあって、その伝説は他のそれと全く同じである〔四〇〕。安芸国賀茂郡志和掘村にお杉畷というがある。昔お杉という女性が一人で五反余歩の田植中に死んだので、村民これを憐み、杉を栽えて記念とした〔四一〕。而して茲に注意すべきことが、是等の嫁ということは、必ずしも今日の新婦とか、花嫁とかいう忌みではなくして、古くヨメとは一般の未婚者を指していた点である。ヨメの語が、嫁の意に固定したので、意地悪の姑のことが加えられたのであるが〔四二〕、此のヨメは家族的の巫女と見るのが正しいのである。


'''九 田植に行う泥掛けの意義'''
'''九 田植に行う泥掛けの意義'''
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此の泥掛けの行事は猶お種々なる<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>で残っている。武蔵国府中町の大国魂神社の田植の神事は、旧五月六日に行われるが、当日は神領の村長等数十名の早乙女とその事に従う。楓の若葉で飾った傘桙というものに白鷺の形を造り立て、神田の辺りに持ち出て、神領の男児等数人が太鼓を打ち、祝言を唱え終ると、田の泥土の中で角力を取ることになっている〔四六〕。常陸国真壁郡大宝村では田植の終りの日に村内の男女が集って田の中で泥まぶれになる角力を取る。平生怨みを負える者は、油断すると悲しき目にあうべく、男たりとも徒党を組める女達につかまれば、手足を逆しまにつるされて、泥中に頭を漬けおかるることもあるべしとのことだ〔四七〕。而してかくの如き蛮習が、何故に工夫され、然もそれが何故に存続していたかといえば、私はこれに対して、泥掛けの起原は、オナリを田の中で泥を打ち掛けて殺したのに由来するものと考えている。(以上「中央史壇」第十一巻第二号所載の拙稿を訂正した。)
此の泥掛けの行事は猶お種々なる<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>で残っている。武蔵国府中町の大国魂神社の田植の神事は、旧五月六日に行われるが、当日は神領の村長等数十名の早乙女とその事に従う。楓の若葉で飾った傘桙というものに白鷺の形を造り立て、神田の辺りに持ち出て、神領の男児等数人が太鼓を打ち、祝言を唱え終ると、田の泥土の中で角力を取ることになっている〔四六〕。常陸国真壁郡大宝村では田植の終りの日に村内の男女が集って田の中で泥まぶれになる角力を取る。平生怨みを負える者は、油断すると悲しき目にあうべく、男たりとも徒党を組める女達につかまれば、手足を逆しまにつるされて、泥中に頭を漬けおかるることもあるべしとのことだ〔四七〕。而してかくの如き蛮習が、何故に工夫され、然もそれが何故に存続していたかといえば、私はこれに対して、泥掛けの起原は、オナリを田の中で泥を打ち掛けて殺したのに由来するものと考えている。(以上「中央史壇」第十一巻第二号所載の拙稿を訂正した。)


オナリ伝説の考察が意外に長くなってしまったので、此の上に農業と巫女の関係を記すと余りに紙幅を費すので、茲には総てを省略し、不十分の点は、[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]において、機会があったら補足することとした。猶お巫女と人身御供との伝説に就いては、これも他の機会で記述したいと思っているので、参照を望む次第である。
オナリ伝説の考察が以外に長くなってしまったので、此の上に農業と巫女の関係を記すと余りに紙幅を費すので、茲には総てを省略し、不十分の点は、[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]において、機会があったら補足することとした。猶お巫女と人身御供との伝説に就いては、これも他の機会で記述したいと思っているので、参照を望む次第である。


; 〔註一〕 : 私は稲荷の原始神は狐を祭ったものだと考えている。それが秦氏の繁昌によって、同氏の祖先神と代るようになり更に秦氏の没落後に稲荷神——即ち大気津比売命と入れ代えられたものと信じたい。それでなければ、民間信仰における稲荷神と、狐との関係が、判然せぬのである。更に「開化記」には「日子坐王(中略)又其御母の弟袁祁津比売命に御娶ひて、生みませる御子」云々とある。これより推すと大気津比売の名は、玉依姫のそれと同じように、或は古代の貴女の通称の一ではなかったろうか。後考を俟つ。
; 〔註一〕 : 私は稲荷の原始神は狐を祭ったものだと考えている。それが秦氏の繁昌によって、同氏の祖先神と代るようになり更に秦氏の没落後に稲荷神——即ち大気津比売命と入れ代えられたものと信じたい。それでなければ、民間信仰における稲荷神と、狐との関係が、判然せぬのである。更に「開化記」には「日子坐王(中略)又其御母の弟袁祁津比売命に御娶ひて、生みませる御子」云々とある。これより推すと大気津比売の名は、玉依姫のそれと同じように、或は古代の貴女の通称の一ではなかったろうか。後考を俟つ。
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