日本巫女史/第一篇/第八章/第三節」を編集中

ナビゲーションに移動 検索に移動
警告: ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。ログインまたはアカウントを作成すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。

この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。

最新版 編集中の文章
64行目: 64行目:
'''六 穀神の犠牲となるオナリ'''
'''六 穀神の犠牲となるオナリ'''


[[画像:水使神社.gif‎|thumb|足利の水使神社の御影]]
[[画像:水使神社.gif‎|frame|足利の水使神社の御影 ]]
 
下野国足利郡三重村大字五十部の水使神社の縁起に、この祭神は土地の富豪の水使女であって、乳呑児を抱えて奉公していた。或年の田植に早乙女に昼飯を持って田へ往った留守に、主人がその乳呑児を殺してしまったので水使女は気狂いのようになり、附近の池へ投身して死んだ。爾来、その女の怨霊が祟るので神に祭ったのが此の社である。神体は、左手で飯櫃を抱え、右手に飯匙を持って水中の岩上に立っている木像だとて、今にその御影を出している。此の神社は私の故郷に程近いので、私も幼少の折に亡姉に連れられて二度ほど参詣したことがある。而して此の縁起に後人の作為が加わっていることは勿論であるが、兎に角水使女が、(一)田植に昼飯を持参したこと、(二)乳呑児が殺され(これは必ずしも重要事ではないが、此の例も嫁殺し田伝説まで合せると多数ある)ること、(三)そして自分も死ぬという此の三点は、他のオナリ伝説と共通なものであって、然も此の三点がオナリとして穀神の犠牲となった事を語る眼目なのである。同じ足利郡御厨町大字福居字中里(私の生地の隣村)の鎮守は、飯盛飯有神社という珍らしい奇抜な社名で、古老の語る所によると、神体は飯櫃と飯匙とであったそうだが、現今では大気津比売命と入れ代えられて了った。此の祭神などもオナリに由縁あるものと思われるが、社記も伝説も残っていぬので、考覈すべき手掛りさえ無くなって了った。阿波国板野郡撫養町大字桑島の於加神社の神体も、水使神社と同じように、右手に飯を高盛りにしたお椀を持ち、右手に飯匙を握っているそうだが〔二八〕、これなども詮議したらオナリ系の神であるかも知れぬ。陸中国上閉伊郡松崎村大字矢崎に灌漑用の大堰がある。往古、此の堰が年々洪水のために崩壊するので巫女を人身御供として水底に沈めた。堰口はそれ以来崩壊せぬようになったが、巫女の祟りを恐れて、ボナリ(母成と書く)神として祭り、今に毎年初春壬辰の日に醴酒と煮豆を供えてお祭りをする。殊に田植の水揚げするときは、村民団子を作り神に供える〔二九〕。此の伝説こそは巫女がオナリであって、農業に深い関係を有し、然も穀神の犠牲となったことを克明に語っているのである。下総国印旛郡宗像村大字師戸の某の小娘が、同郡船穂村大字船尾の農家に子守奉公していると、或年、田植に働く人々に昼飯を運べと言いつけられ、子を背負うたまま持参すると、小供と一緒に持ってくるとは不都合だと叱られ、遂にその小娘は小供を負うて金比羅淵に投身して死んだ。然るに小娘の怨霊が大蛇となって村に祟るので、村民は鎮守宗像社に併せ祭り、今に七月一二日にはニヒガリとて鎮守社に集り草を刈り庭を清めて、その夜に来る大蛇のために道を払ってやる〔三〇〕。此の話などは、常識から云えば、理窟に合わぬことのみであるが、然し話の基調がオナリにあることを知れば、朧げながらも吾人の腑に落ちるものが存するのである。美濃国瀬川の左岸に昼飯岩というがある。大昔、某家の下女が田植している下男達に昼飯を運ぶために此処まで来ると、突然、岩が崩れて下女が殺されたので此の名がある〔三一〕。此の話なども、是れだけ聴かされたのでは、何の事やら頭も尾もない出鱈目話のように思われるが、古いオナリの条件を備えている穀神の犠牲を語っているのである。猶お此の外に磐城国白川郡竹貫駒ヶ城趾にあるボナリ石の由来や、丹波国何鹿郡東八田村大字於成のオナル神社の縁起など、詮索すれば相当に資料もあることと思うが、大体を尽したので他は省略する。
下野国足利郡三重村大字五十部の水使神社の縁起に、この祭神は土地の富豪の水使女であって、乳呑児を抱えて奉公していた。或年の田植に早乙女に昼飯を持って田へ往った留守に、主人がその乳呑児を殺してしまったので水使女は気狂いのようになり、附近の池へ投身して死んだ。爾来、その女の怨霊が祟るので神に祭ったのが此の社である。神体は、左手で飯櫃を抱え、右手に飯匙を持って水中の岩上に立っている木像だとて、今にその御影を出している。此の神社は私の故郷に程近いので、私も幼少の折に亡姉に連れられて二度ほど参詣したことがある。而して此の縁起に後人の作為が加わっていることは勿論であるが、兎に角水使女が、(一)田植に昼飯を持参したこと、(二)乳呑児が殺され(これは必ずしも重要事ではないが、此の例も嫁殺し田伝説まで合せると多数ある)ること、(三)そして自分も死ぬという此の三点は、他のオナリ伝説と共通なものであって、然も此の三点がオナリとして穀神の犠牲となった事を語る眼目なのである。同じ足利郡御厨町大字福居字中里(私の生地の隣村)の鎮守は、飯盛飯有神社という珍らしい奇抜な社名で、古老の語る所によると、神体は飯櫃と飯匙とであったそうだが、現今では大気津比売命と入れ代えられて了った。此の祭神などもオナリに由縁あるものと思われるが、社記も伝説も残っていぬので、考覈すべき手掛りさえ無くなって了った。阿波国板野郡撫養町大字桑島の於加神社の神体も、水使神社と同じように、右手に飯を高盛りにしたお椀を持ち、右手に飯匙を握っているそうだが〔二八〕、これなども詮議したらオナリ系の神であるかも知れぬ。陸中国上閉伊郡松崎村大字矢崎に灌漑用の大堰がある。往古、此の堰が年々洪水のために崩壊するので巫女を人身御供として水底に沈めた。堰口はそれ以来崩壊せぬようになったが、巫女の祟りを恐れて、ボナリ(母成と書く)神として祭り、今に毎年初春壬辰の日に醴酒と煮豆を供えてお祭りをする。殊に田植の水揚げするときは、村民団子を作り神に供える〔二九〕。此の伝説こそは巫女がオナリであって、農業に深い関係を有し、然も穀神の犠牲となったことを克明に語っているのである。下総国印旛郡宗像村大字師戸の某の小娘が、同郡船穂村大字船尾の農家に子守奉公していると、或年、田植に働く人々に昼飯を運べと言いつけられ、子を背負うたまま持参すると、小供と一緒に持ってくるとは不都合だと叱られ、遂にその小娘は小供を負うて金比羅淵に投身して死んだ。然るに小娘の怨霊が大蛇となって村に祟るので、村民は鎮守宗像社に併せ祭り、今に七月一二日にはニヒガリとて鎮守社に集り草を刈り庭を清めて、その夜に来る大蛇のために道を払ってやる〔三〇〕。此の話などは、常識から云えば、理窟に合わぬことのみであるが、然し話の基調がオナリにあることを知れば、朧げながらも吾人の腑に落ちるものが存するのである。美濃国瀬川の左岸に昼飯岩というがある。大昔、某家の下女が田植している下男達に昼飯を運ぶために此処まで来ると、突然、岩が崩れて下女が殺されたので此の名がある〔三一〕。此の話なども、是れだけ聴かされたのでは、何の事やら頭も尾もない出鱈目話のように思われるが、古いオナリの条件を備えている穀神の犠牲を語っているのである。猶お此の外に磐城国白川郡竹貫駒ヶ城趾にあるボナリ石の由来や、丹波国何鹿郡東八田村大字於成のオナル神社の縁起など、詮索すれば相当に資料もあることと思うが、大体を尽したので他は省略する。


Docsへの投稿はすべて、他の投稿者によって編集、変更、除去される場合があります。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください(詳細はDocs:著作権を参照)。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!

このページを編集するには、下記の確認用の質問に回答してください (詳細):

取り消し 編集の仕方 (新しいウィンドウで開きます)