「日本巫女史/第一篇/第八章/第六節」を編集中
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'''二 御船の神事と巫女''' | '''二 御船の神事と巫女''' | ||
[[画像:女装航海者.gif| | [[画像:女装航海者.gif|frame|(紀洲熊野社の諸手船に乗る女装の航海者。(民俗芸術)創刊号所載)]] | ||
神社の恒例となっている御船の神事に、巫女が中心となって祭儀を行う習礼は夥しきまで存しているが、茲には重なるもの二三だけを挙げ、以て古代における巫女が航海の守護者であったことを証明する。而して是れが代表的とも思わるるものは、紀伊国新宮町の熊野速玉神社に行われるハリハリ踊の神事である。此の祭は、毎年十月の十五日を宵宮とし、翌十六日を本祭とするが、その十六日に神霊を龍頭鷁首の朱塗船(国宝)に遷して、熊野川を溯航し、河心の御舟島という小島を巡幸する儀式あり、此の神船を曳航するのが有名な熊野の諸手船である。此の船は、大昔から同国南牟婁郡鵜殿村の廻船組合から出すことになっていて、然も諸手船は赤い衣服に赤い頭巾を被った老媼に扮した男子(挿入の写真参照)が操るのであるが、その際に、女装の者が一本の櫂を持って船を漕ぐような舞踏をなし、船中に居る他の二十余人は囃し詞を合唱する〔六〕。そして此の女装の者が、古く巫女であったことは言うまでもない。斯うして一方においては神霊に祈って加護を仰ぎ、一方においては舞踏して水手の勇気を励ましたのである。 | 神社の恒例となっている御船の神事に、巫女が中心となって祭儀を行う習礼は夥しきまで存しているが、茲には重なるもの二三だけを挙げ、以て古代における巫女が航海の守護者であったことを証明する。而して是れが代表的とも思わるるものは、紀伊国新宮町の熊野速玉神社に行われるハリハリ踊の神事である。此の祭は、毎年十月の十五日を宵宮とし、翌十六日を本祭とするが、その十六日に神霊を龍頭鷁首の朱塗船(国宝)に遷して、熊野川を溯航し、河心の御舟島という小島を巡幸する儀式あり、此の神船を曳航するのが有名な熊野の諸手船である。此の船は、大昔から同国南牟婁郡鵜殿村の廻船組合から出すことになっていて、然も諸手船は赤い衣服に赤い頭巾を被った老媼に扮した男子(挿入の写真参照)が操るのであるが、その際に、女装の者が一本の櫂を持って船を漕ぐような舞踏をなし、船中に居る他の二十余人は囃し詞を合唱する〔六〕。そして此の女装の者が、古く巫女であったことは言うまでもない。斯うして一方においては神霊に祈って加護を仰ぎ、一方においては舞踏して水手の勇気を励ましたのである。 | ||