「日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を編集中
ナビゲーションに移動
検索に移動
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
52行目: | 52行目: | ||
'''三 病魔を驚圧する医療的呪術''' | '''三 病魔を驚圧する医療的呪術''' | ||
古代人は、総ての疾病は、病魔の(古くこれを<ruby><rb>物</rb><rp>(</rp><rt>モノ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>気</rb><rp>(</rp><rt>ケ</rt><rp>)</rp></ruby> | 古代人は、総ての疾病は、病魔の(古くこれを<ruby><rb>物</rb><rp>(</rp><rt>モノ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>気</rb><rp>(</rp><rt>ケ</rt><rp>)</rp></ruby>というた)の襲うことが原因であると信じていたので、これを回復せんには、その病魔を駆除することが肝要とせられ、此の駆除法には種々なる呪術が行われたようである。例えば、病者の身体や、病室を殴打することや、病魔が嫌いそうな異臭のあるものを病者に食わせたり、又は室内に焚いたりするのや、その他にも様々なものが工夫されていた。而して此の駆除呪術は、斯くして病魔を驚駭させ、圧服するという信仰から出発していることは、言うまでもない。屢記を経た天鈿女命が磐戸の斎庭において「手に茅纒の<ruby><rb>矟</rb><rp>(</rp><rt>ホコ</rt><rp>)</rp></ruby>を持ち」神がかりしたのは、葬宴に際して疎び荒び来る物の気を攘うためであったとも思われる。換言すれば、矟という武器によって、物の気を強圧する手段とも見られるのである。漢字通の後藤朝太郎氏から聴いた話に、支那の弔という字は、葬礼のときに人が弓を携えて往った民俗があったので、それの象形文字だということである。それとこれと、思想上に共通があるか否かは、断言できぬけれども、我国にも葬儀に弓を携えて往く例は、各地に行われている〔四〕。或は此の民俗なども遠くに溯ると、鈿女の矟のように物の気を攘うのが目的であったかも知れぬ。「神楽歌」の採物に、弓、剣、鉾などのあるのも、又この信仰の在ったことを想わせるものがある。 | ||
病魔の嫌う異臭を以て、医療的の呪術を行ったものとしては、「景行紀」にある倭尊の故事を例証として挙げることが出来ようと思う。即ち | 病魔の嫌う異臭を以て、医療的の呪術を行ったものとしては、「景行紀」にある倭尊の故事を例証として挙げることが出来ようと思う。即ち |