日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を編集中

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; 〔註四〕 : 葬儀に、弓を携えて往く民俗は各地に在るが、殊に奇抜なのは、土佐群書類従本「豊永郷葬事略記」にあるものである。即ち同国長岡郡豊永郷では、死人があると、弓持と称する者、竹の弓矢を携えて、棺の後に附添うて往き、墓穴に棺を納めるとき、弓持は棺を覆いし衣物を、弓の先にて取り退け、穴の内に納め、それより弓持は直ちに喪家に立帰り、大音にて「宿かり申そう」と言えば、留守居の者内より「三日跡に人質を取られて宿かすことは出来申さぬ」と答えると、又弓持「然らば艮鬼門の方へ世直り中直りの弓を引く」と云いつつ、矢を番いて、家の棟を射越し、弓も踏み折り、投げ越すとある。更に「年中故事」巻三に肥後米良山の「栃木県河内郡豊郷村郷土誌」に同村の、共に弓を携えて葬礼に行くことが載せてある。
; 〔註四〕 : 葬儀に、弓を携えて往く民俗は各地に在るが、殊に奇抜なのは、土佐群書類従本「豊永郷葬事略記」にあるものである。即ち同国長岡郡豊永郷では、死人があると、弓持と称する者、竹の弓矢を携えて、棺の後に附添うて往き、墓穴に棺を納めるとき、弓持は棺を覆いし衣物を、弓の先にて取り退け、穴の内に納め、それより弓持は直ちに喪家に立帰り、大音にて「宿かり申そう」と言えば、留守居の者内より「三日跡に人質を取られて宿かすことは出来申さぬ」と答えると、又弓持「然らば艮鬼門の方へ世直り中直りの弓を引く」と云いつつ、矢を番いて、家の棟を射越し、弓も踏み折り、投げ越すとある。更に「年中故事」巻三に肥後米良山の「栃木県河内郡豊郷村郷土誌」に同村の、共に弓を携えて葬礼に行くことが載せてある。
; 〔註五〕 : 神話と民俗との関係に就いては、前にも一度記したことがあるも、これは神話に在る事実が先に行われて、後に民俗が生じたのでは無くして、既に民俗が存していたのが神話に反映したのであると解すべきである。
; 〔註五〕 : 神話と民俗との関係に就いては、前にも一度記したことがあるも、これは神話に在る事実が先に行われて、後に民俗が生じたのでは無くして、既に民俗が存していたのが神話に反映したのであると解すべきである。
; 〔註六〕 : 従来、酒を造る者を<u>とうじ</u>と云い、これに杜司の字を当てていたので、<u>とうじ</u>は支那を学んだものであろうなどと、江戸時代の好事家なる者は気楽な考証をしたものであるが、これは橘守部が「神楽歌入文」で創説した如く、刀自即ち巫女である。延喜の「神名式」に「造酒司坐神六座(大四座小二座)大宮売神社四座」とあるのも、更に「文徳実録」斉衡三年九月辛亥の条に「造酒司酒甕神従五位下大邑刀自、小邑刀自等、並預春秋祭」とあるなど、咸な古代の巫女が造酒していることを証明しているのである。<br/>猶お刀自を巫女という証拠は、宮中の内侍所に仕える女官を、古くおさい(御斎)うねめ(采女)、とじ(刀自)、めうぶ(命婦)等に区別しているが、是等の女官が古き御巫の末であることは勿論である。
; 〔註六〕 : 従来、酒を造る者を<u>とうじ</u>と云い、これに杜司の字を当てていたので、<u>とうじ</u>は支那を学んだものであろうなどと、江戸時代の好事家なる者は気楽な考証をしたものであるが、これは橘守屋が「神楽歌入文」で創説した如く、刀自即ち巫女である。延喜の「神名式」に「造酒司坐神六座(大四座小二座)大宮売神社四座」とあるのも、更に「文徳実録」斉衡三年九月辛亥の条に「造酒司酒甕神従五位下大邑刀自、小邑刀自等、並預春秋祭」とあるなど、咸な古代の巫女が造酒していることを証明しているのである。<br/>猶お刀自を巫女という証拠は、宮中の内侍所に仕える女官を、古くおさい(御斎)うねめ(采女)、とじ(刀自)、めうぶ(命婦)等に区別しているが、是等の女官が古き御巫の末であることは勿論である。
; 〔註七〕 : 僧顕昭の「袖中抄」によると、賀茂社の<u>うれりめ</u>は酒殿に仕えた造酒の巫女である。猶お各地の名神大社の酒殿の巫女に就いては「民族」第四巻第二号に掲載した拙稿「御左口神考」が、多少とも此の問題に触れているので参照を望む。
; 〔註七〕 : 僧顕昭の「袖中抄」によると、賀茂社の<u>うれりめ</u>は酒殿に仕えた造酒の巫女である。猶お各地の名神大社の酒殿の巫女に就いては「民族」第四巻第二号に掲載した拙稿「御左口神考」が、多少とも此の問題に触れているので参照を望む。
; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。
; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。
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