「日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を編集中
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これは巫女の医療的呪術としては、極めて普通なものであって、別段に取り立てて言うほどの事も無いのであるが少しく心附けるものを記して参考に資せんに、注連縄を張ることは、その一であった。鈴を振る(神の声として)ことはその二であった。社の周囲を匝ること(寛文頃の記録を見ると、宮中では刀自と称する女官が、主上御悩のときに、お千度と称して、内侍所の周りを千度匝ると載せてある)は、その三であった。 | これは巫女の医療的呪術としては、極めて普通なものであって、別段に取り立てて言うほどの事も無いのであるが少しく心附けるものを記して参考に資せんに、注連縄を張ることは、その一であった。鈴を振る(神の声として)ことはその二であった。社の周囲を匝ること(寛文頃の記録を見ると、宮中では刀自と称する女官が、主上御悩のときに、お千度と称して、内侍所の周りを千度匝ると載せてある)は、その三であった。 | ||
而して猶お此の場合に考えて見たいことは、木花開耶姫命が皇子三柱を産みますときに、産室に火を放って焚き、火中において分娩されたという有名なる神話の医療学的解釈である。勿論、出産は生理的のことであって、病気では無いが、古代においてはさる区別は意識しなかったので、姑らく出産を病気として見ることとしたのである。此の神話は皇孫が妹神に対して『天神の子と雖も、いかゞ一夜に人をし娠ませんや、はた吾が児にあらざるか』と仰せられたに対して、<ruby><rb>誓</rb><rp>(</rp><rt>ウケヒ</rt><rp>)</rp></ruby>の考えを以て火中に入られたというのが骨子となっているのではあるが、現に琉球の各地方に行われている民俗として、妊婦が産に臨むと、室内に数個の大火鉢に火を焚き、その熱によって産婦に発汗させることを、安産の呪術と信じているのに比較すると、木花開耶媛の場合も、何か斯うした呪術的の民俗が、神話の成立要因となっていたのではあるまいか。敢て後考を俟つとする。 | |||
以上で私の謂うところの第一の祈祷及び呪術による巫女の医療的職務は大体を尽したのである。これから更に第二の薬剤を用いた医療的呪術に就いて述べるとする。 | 以上で私の謂うところの第一の祈祷及び呪術による巫女の医療的職務は大体を尽したのである。これから更に第二の薬剤を用いた医療的呪術に就いて述べるとする。 | ||
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こうして動植物を薬用としたことは猶お此の外にも相当に存している。何の事か私にもよく判然せぬが、「諏訪大明神絵詞」巻下の、十二月二十四日神長官が<u>しんふくら</u>を祭る折に唱うる詞に、 | こうして動植物を薬用としたことは猶お此の外にも相当に存している。何の事か私にもよく判然せぬが、「諏訪大明神絵詞」巻下の、十二月二十四日神長官が<u>しんふくら</u>を祭る折に唱うる詞に、 | ||
: 陸奥国せんせんつかふしのひとり姫御前、腹をやませ給ふに(中略)、東山信濃諏訪郡武居の御里に、いこもらおはします大明神の御室中にある、<u>しんふくら</u> | : 陸奥国せんせんつかふしのひとり姫御前、腹をやませ給ふに(中略)、東山信濃諏訪郡武居の御里に、いこもらおはします大明神の御室中にある、<u>しんふくら</u>と云鳥を御薬につかはせ給はゞ、御腹なほらせ給ふべし。 | ||
とあるのは、察するに諏訪社に伝えた鳥薬と思われるのである。後世の書物(延喜頃のものか)ではあるが、「本草和名」を見ると、左の記事がある。 | とあるのは、察するに諏訪社に伝えた鳥薬と思われるのである。後世の書物(延喜頃のものか)ではあるが、「本草和名」を見ると、左の記事がある。 |