日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を編集中

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とあるのが、それである。勿論、私は斯う言ったからとて、決して大少二神を男覡であると申すのでは無くして、巫覡の徒が大少二神の定められた療病の法を伝え、これに由って医術的所作を行うたものであると云うのである。それでは、是等二神の定めた医方は、如何なるものであったかというと、私の寡聞のためか判然とこれを知ることが出来ぬのである。尤も坊間に流布している「大同類聚方」と称する書物を見ると、大少二神の遣方というのが、夥しきまでに記載されているけれども、此の書が後人の偽作なることは、既に学界の定説となっているのであるから、此の書を典拠として説を試みることは不可能である。そこで私は、専ら資料を記・紀等の古文献に覓め、これを数項に分類して、巫女が医療として行った呪術に就き略述するとした。
とあるのが、それである。勿論、私は斯う言ったからとて、決して大少二神を男覡であると申すのでは無くして、巫覡の徒が大少二神の定められた療病の法を伝え、これに由って医術的所作を行うたものであると云うのである。それでは、是等二神の定めた医方は、如何なるものであったかというと、私の寡聞のためか判然とこれを知ることが出来ぬのである。尤も坊間に流布している「大同類聚方」と称する書物を見ると、大少二神の遣方というのが、夥しきまでに記載されているけれども、此の書が後人の偽作なることは、既に学界の定説となっているのであるから、此の書を典拠として説を試みることは不可能である。そこで私は、専ら資料を記・紀等の古文献に覓め、これを数項に分類して、巫女が医療として行った呪術に就き略述するとした。


猶おそれを記す以前に、巫女の行うた医療的呪術の概念に就いて述べて置く必要がある。それは外でもなく、巫女の医療的方面は、大別して二つとすることが出来る。即ち第一は、薬剤ともいうべき物を用いずして、単なる祈祷か又は呪術に由るものと、第二は、是等の祈祷を行うと同時に、薬剤とも称すべき物を用いたものとに区別されるのである。而して此の区別は、更に細別するときは、第一の祈祷呪術は、刺傷、封結、驚圧、呪物等に分れ、第二の薬剤は、供物を薬剤に代用せるものと、純薬剤とに分けることが出来ると考えるので、不充分ながらも姑らく此の分類に従うこととした。
猶おそれを記す以前に、巫女の行うた医療的呪術の概念に就いて述べて置く必要がある。それは外でもなく、巫女の医療的方面は、大別して二つとすることが出来る。即ち第一は、薬剤ともいうべき物を用いずして、単なる祈禱か又は呪術に由るものと、第二は、是等の祈禱を行うと同時に、薬剤とも称すべき物を用いたものとに区別されるのである。而して此の区別は、更に細別するときは、第一の祈禱呪術は、刺傷、封結、驚圧、呪物等に分れ、第二の薬剤は、供物を薬剤に代用せるものと、純薬剤とに分けることが出来ると考えるので、不充分ながらも姑らく此の分類に従うこととした。


因に言うが、発病以前に難病を排除する呪術を巫女が行うたことは勿論であるが、これは本節に交渉するところが尠いので除外したことである。
因に言うが、発病以前に難病を排除する呪術を巫女が行うたことは勿論であるが、これは本節に交渉するところが尠いので除外したことである。
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と説かれている〔一〕。茲に憑依とは、神がかりとも云うほどの意であろう。而して更に「史苑」第二巻第一第二号に連載された岡田太郎氏の「新石器時代の穿顱術について」と題せる論文には、
と説かれている〔一〕。茲に憑依とは、神がかりとも云うほどの意であろう。而して更に「史苑」第二巻第一第二号に連載された岡田太郎氏の「新石器時代の穿顱術について」と題せる論文には、


: 此の種の外科手術が、先史時代に行われたことについては、種々なる仮説が試みられた。プロカは、癩癇患者に対する治療法として行われたもので、悪霊が頭蓋骨の穿孔から逃げるものと信じられていたと言っている。多くの場合、前頭骨に手術が行われないで、顱頂部に行われる故に、此の迷信が主要原因であったと力説している。ミュニツワ及びマック・ジィは、穿顱術が呪術的起原を有するもので、本来治療的なものではないとまで極言している云々。
: 此の種の外科手術が、先史時代に行われたことについては、種々なる仮説が試みられた。プロカは、癩癇患者に対する治療法として行われたもので、悪霊が頭蓋骨の穿孔から逃げるものと信じられていたと言っている。多くの場合、前頭骨に手術が行われないで、顱頂部に行われる故に、此の迷信が主要原因であったと力説している。ミュニツワ及びマック・デイは、穿顱術が呪術的起原を有するもので、本来治療的なものではないとまで極言している云々。


と説かれている。而して是等の研究に従えば、我国の古代に顱頂骨を穿つことが、医療を目的とした呪術として行われた点は先ず疑いないようであるが、それでは此の施術者は何者であったかという点になると、両論文とも少しもこれに触れていないのである。私は例の独断から、此の施術者こそ巫女であって、然も施術の場合には、神意を窺うて行ったものと想像するのである。妊婦の屍体を開腹するほどの蛮勇(勿論それは神の命ずることとして行ったのであるが)を有していた巫女にとっては、当然有り得べき事実と信じたいのである。
と説かれている。而して是等の研究に従えば、我国の古代に顱頂骨を穿つことが、医療を目的とした呪術として行われた点は先ず疑いないようであるが、それでは此の施術者は何者であったかという点になると、両論文とも少しもこれに触れていないのである。私は例の独断から、此の施術者こそ巫女であって、然も施術の場合には、神意を窺うて行ったものと想像するのである。妊婦の屍体を開腹するほどの蛮勇(勿論それは神の命ずることとして行ったのであるが)を有していた巫女にとっては、当然有り得べき事実と信じたいのである。
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而して猶お此の場合に考えて見たいことは、木花開耶姫命が皇子三柱を産みますときに、産室に火を放って焚き、火中において分娩されたという有名なる神話の医療学的解釈である。勿論、出産は生理的のことであって、病気では無いが、古代においてはさる区別は意識しなかったので、姑らく出産を病気として見ることとしたのである。此の神話は皇孫が妹神に対して『天神の子と雖も、いかが一夜に人をし娠ませんや、はた吾が児にあらざるか』と仰せられたに対して、<ruby><rb>誓</rb><rp>(</rp><rt>ウケヒ</rt><rp>)</rp></ruby>の考えを以て火中に入られたというのが骨子となっているのではあるが、現に琉球の各地方に行われている民俗として、妊婦が産に臨むと、室内に数個の大火鉢に火を焚き、その熱によって産婦に発汗させることを、安産の呪術と信じているのに比較すると、木花開耶媛の場合も、何か斯うした呪術的の民俗が、神話の成立要因となっていたのではあるまいか。敢て後考を俟つとする。
而して猶お此の場合に考えて見たいことは、木花開耶姫命が皇子三柱を産みますときに、産室に火を放って焚き、火中において分娩されたという有名なる神話の医療学的解釈である。勿論、出産は生理的のことであって、病気では無いが、古代においてはさる区別は意識しなかったので、姑らく出産を病気として見ることとしたのである。此の神話は皇孫が妹神に対して『天神の子と雖も、いかが一夜に人をし娠ませんや、はた吾が児にあらざるか』と仰せられたに対して、<ruby><rb>誓</rb><rp>(</rp><rt>ウケヒ</rt><rp>)</rp></ruby>の考えを以て火中に入られたというのが骨子となっているのではあるが、現に琉球の各地方に行われている民俗として、妊婦が産に臨むと、室内に数個の大火鉢に火を焚き、その熱によって産婦に発汗させることを、安産の呪術と信じているのに比較すると、木花開耶媛の場合も、何か斯うした呪術的の民俗が、神話の成立要因となっていたのではあるまいか。敢て後考を俟つとする。


以上で私の謂うところの第一の祈祷及び呪術による巫女の医療的職務は大体を尽したのである。これから更に第二の薬剤を用いた医療的呪術に就いて述べるとする。
以上で私の謂うところの第一の祈禱及び呪術による巫女の医療的職務は大体を尽したのである。これから更に第二の薬剤を用いた医療的呪術に就いて述べるとする。


'''五 供物を薬用とした医療的呪術'''
'''五 供物を薬用とした医療的呪術'''
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; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。
; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。
; 〔註九〕 : 伊波普猷氏の「古琉球」第□版の附録「混効験集」にある。因に同集は古い同国の辞書である。
; 〔註九〕 : 伊波普猷氏の「古琉球」第□版の附録「混効験集」にある。因に同集は古い同国の辞書である。
; 〔註一〇〕 : 碩学南方熊楠氏の談に、大和の三輪が酒の名所として知られたのは、酒を容れる樽材として、三輪杉が理想的であったばかりでなく、更に古く同地の杉の脂から、酒を製したことがあったためではないかとのことであった。附記して参考に資するとする。
; 〔註一〇〕 : 碩学南方熊楠氏の談に、大和の三輪が酒の□所として知られたのは、酒を容れる樽材として、三輪杉が理想的であったばかりでなく、更に古く同地の杉の脂から、酒を製したことがあったためではないかとのことであった。附記して参考に資するとする。
; 〔註一一〕 : 待ち酒は「万葉集」巻四にも「君が為めかみし待ち酒安の野に、独りや飲まむ友なしにして」とある。
; 〔註一一〕 : 待ち酒は「万葉集」巻四にも「君が為めかみし待ち酒安の野に、独りや飲まむ友なしにして」とある。
; 〔註一二〕 : 祭をマチと云うているところは、今に各地にある。待ち酒の<u>まち</u>は、祭のマチであって、これに待つ人の来るか来ぬかを占う意も含まれていると、折口信夫氏から教えられたことがある。
; 〔註一二〕 : 祭をマチと云うているところは、今に各地にある。待ち酒の<u>まち</u>は、祭のマチであって、これに待つ人の来るか来ぬかを占う意も含まれていると、折口信夫氏から教えられたことがある。
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