「日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を編集中
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と説かれている〔一〕。茲に憑依とは、神がかりとも云うほどの意であろう。而して更に「史苑」第二巻第一第二号に連載された岡田太郎氏の「新石器時代の穿顱術について」と題せる論文には、 | と説かれている〔一〕。茲に憑依とは、神がかりとも云うほどの意であろう。而して更に「史苑」第二巻第一第二号に連載された岡田太郎氏の「新石器時代の穿顱術について」と題せる論文には、 | ||
: | : 此の種の外科手術が、先史時代に行われたことについては、種々なる仮説が試みられた。プロカは、癩癇患者に対する治療法として行われたもので、悪霊が頭蓋骨の穿孔から逃げるものと信じられていたと言っている。多くの場合、前頭骨に手術が行われないで、顱頂部に行われる故に、此の迷信が主要原因であったと力説している。ミュニツワ及びマック・デイは、穿顱術が呪術的起原を有するもので、本来治療的なものではないとまで極言している云々。 | ||
と説かれている。而して是等の研究に従えば、我国の古代に顱頂骨を穿つことが、医療を目的とした呪術として行われた点は先ず疑いないようであるが、それでは此の施術者は何者であったかという点になると、両論文とも少しもこれに触れていないのである。私は例の独断から、此の施術者こそ巫女であって、然も施術の場合には、神意を窺うて行ったものと想像するのである。妊婦の屍体を開腹するほどの蛮勇(勿論それは神の命ずることとして行ったのであるが)を有していた巫女にとっては、当然有り得べき事実と信じたいのである。 | と説かれている。而して是等の研究に従えば、我国の古代に顱頂骨を穿つことが、医療を目的とした呪術として行われた点は先ず疑いないようであるが、それでは此の施術者は何者であったかという点になると、両論文とも少しもこれに触れていないのである。私は例の独断から、此の施術者こそ巫女であって、然も施術の場合には、神意を窺うて行ったものと想像するのである。妊婦の屍体を開腹するほどの蛮勇(勿論それは神の命ずることとして行ったのであるが)を有していた巫女にとっては、当然有り得べき事実と信じたいのである。 | ||
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; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。 | ; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。 | ||
; 〔註九〕 : 伊波普猷氏の「古琉球」第□版の附録「混効験集」にある。因に同集は古い同国の辞書である。 | ; 〔註九〕 : 伊波普猷氏の「古琉球」第□版の附録「混効験集」にある。因に同集は古い同国の辞書である。 | ||
; 〔註一〇〕 : | ; 〔註一〇〕 : 碩学南方熊楠氏の談に、大和の三輪が酒の□所として知られたのは、酒を容れる樽材として、三輪杉が理想的であったばかりでなく、更に古く同地の杉の脂から、酒を製したことがあったためではないかとのことであった。附記して参考に資するとする。 | ||
; 〔註一一〕 : 待ち酒は「万葉集」巻四にも「君が為めかみし待ち酒安の野に、独りや飲まむ友なしにして」とある。 | ; 〔註一一〕 : 待ち酒は「万葉集」巻四にも「君が為めかみし待ち酒安の野に、独りや飲まむ友なしにして」とある。 | ||
; 〔註一二〕 : 祭をマチと云うているところは、今に各地にある。待ち酒の<u>まち</u>は、祭のマチであって、これに待つ人の来るか来ぬかを占う意も含まれていると、折口信夫氏から教えられたことがある。 | ; 〔註一二〕 : 祭をマチと云うているところは、今に各地にある。待ち酒の<u>まち</u>は、祭のマチであって、これに待つ人の来るか来ぬかを占う意も含まれていると、折口信夫氏から教えられたことがある。 |