「日本巫女史/第一篇/第八章/第四節」を編集中
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; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。 | ; 〔註八〕 : 此の事は琉球の古い事を書いた「遺老説伝」等にも見え、又た同地出身の伊波普猷氏からも聴いている。更に同国石垣島の皿浜出身で、横浜高等女学校の教職に在る前泊克子女史の談によると、同地では酒を「んさく」というが、是れも噛み酒の意だということである。 | ||
; 〔註九〕 : 伊波普猷氏の「古琉球」第□版の附録「混効験集」にある。因に同集は古い同国の辞書である。 | ; 〔註九〕 : 伊波普猷氏の「古琉球」第□版の附録「混効験集」にある。因に同集は古い同国の辞書である。 | ||
; 〔註一〇〕 : | ; 〔註一〇〕 : 碩学南方熊楠氏の談に、大和の三輪が酒の□所として知られたのは、酒を容れる樽材として、三輪杉が理想的であったばかりでなく、更に古く同地の杉の脂から、酒を製したことがあったためではないかとのことであった。附記して参考に資するとする。 | ||
; 〔註一一〕 : 待ち酒は「万葉集」巻四にも「君が為めかみし待ち酒安の野に、独りや飲まむ友なしにして」とある。 | ; 〔註一一〕 : 待ち酒は「万葉集」巻四にも「君が為めかみし待ち酒安の野に、独りや飲まむ友なしにして」とある。 | ||
; 〔註一二〕 : 祭をマチと云うているところは、今に各地にある。待ち酒の<u>まち</u>は、祭のマチであって、これに待つ人の来るか来ぬかを占う意も含まれていると、折口信夫氏から教えられたことがある。 | ; 〔註一二〕 : 祭をマチと云うているところは、今に各地にある。待ち酒の<u>まち</u>は、祭のマチであって、これに待つ人の来るか来ぬかを占う意も含まれていると、折口信夫氏から教えられたことがある。 |