日本巫女史/第一篇/第六章

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日本巫女史

第一篇 固有呪法時代

第六章 巫女の性格変換と其生活[編集]

古代の巫女に関しては、まだ記述すべき幾多の問題が残されているが、それでなくとも第一篇が余りに長くなり過ぎる嫌いがあるので、大体の輪郭だけでも全速力で書いてしまいたいと思う。全体、私が本書を起稿するに際して少しく憂えたのは、記述が第一篇の古代に繁く、これに反して第二篇の中古及び近古に粗く、更に第三篇の近世及び現代に多くして、恰も瓢の如く首尾が太くして中くくりの小なるものに終りはせぬかと云うことであった。これは何人が何の歴史を書くにも共通している悩みなのである。即ち古代の史料と近古現代の史料は、夥しきまでに存するにもかかわらず、平安朝の末葉から鎌倉室町の両期は頗る史料が欠けて居り、更に江戸期になると、是れまた史料の多きに苦しむのが、当然となっているのである。巫女史にあっても、又この支配から脱することが出来ず、遂に憂いは事実となって現われ、到々、瓢の如く首尾が太く中部は細いものとなってしまった。それで茲には出来るだけ簡明に記述を運んで第一篇を終るとする。

  • 第一節 神人生活と性格の変換
    巫女は独身を原則とする—卑弥呼に夫婿なきも是れが為め—伊勢神宮の子良と母良—鹿島神宮の御物忌—竹野社の斎女—巫女は神と結婚—白羽の矢の原義は何か
  • 第二節 人身御供となった巫女
    人身御供は何故に女性に限るか—人身御供は考古学的にも証明出来る—巫女が人身御供になる理由と其の例証—機織池伝説の由来と巫女—オサメというは巫女の名
  • 第三節 巫女の私生活は判然せぬ
    古代の巫女の修行や師承関係や収入などは一切判然せぬ—勿論これは著者の寡聞の罪だが致し方がない—神社附属の神子と村落に土着した市子—詳細の研究は後賢に俟つ