日本巫女史/第一篇/第六章/第二節」を編集中

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これは明確に巫女とは記していないが、私の考えでは如何にしても巫女としか思われぬ女性の、人身御供となった話がある。尾張国東春日井郡旭村大字新居の道浄寺の前に大きな池があった。大昔に此の池水が溢れて田畑を害すので、村民が怪んで筮者に問うたところが、五月朔日に一名の女子が機織具を持って通るのを捉えて、水中に投じ、堤を築けと誨えた。村民はその日を待っていると、果して織具を持った女子が来たので、水に投じ築堤した。然るに、池水は溢れぬようになったが、村の女達が五月に機を織ると暴死するので、彼女の怨霊を恐れ、道浄寺を建立して冥福を祈った。此の村では今に至るも五月には機を織らぬこととなっている〔六〕。
これは明確に巫女とは記していないが、私の考えでは如何にしても巫女としか思われぬ女性の、人身御供となった話がある。尾張国東春日井郡旭村大字新居の道浄寺の前に大きな池があった。大昔に此の池水が溢れて田畑を害すので、村民が怪んで筮者に問うたところが、五月朔日に一名の女子が機織具を持って通るのを捉えて、水中に投じ、堤を築けと誨えた。村民はその日を待っていると、果して織具を持った女子が来たので、水に投じ築堤した。然るに、池水は溢れぬようになったが、村の女達が五月に機を織ると暴死するので、彼女の怨霊を恐れ、道浄寺を建立して冥福を祈った。此の村では今に至るも五月には機を織らぬこととなっている〔六〕。


これに似た話は、讃岐国香川郡仏生町の<ruby><rb>榺</rb><rp>(</rp><rt>チキリノ</rt><rp>)</rp></ruby>宮(祭神若日女)の由来である。社伝に治承二年平清盛が、阿波民部に命じて、淺野という処へ貯水池を掘らせたが、度々堤が崩れるので、陰陽師に占わせしに、人を以て埋めれば成就するとのことで、或る朝路上に出でて行人を候うと、会々<ruby><rb>柚</rb><rp>(</rp><rt>チギリ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰。機織具)を持ち、<ruby><rb>筬</rb><rp>(</rp><rt>オサ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰。同上)を懐にした婦人が来たので、これを人柱に立てた。然るに、その柚が化して松樹となり、筬が化して竹林となり、殃いするので祠を立て神と祀った〔七〕。此の話の筋は池中において機を織る音がするという「機織池伝説」と共通している点が存しているが〔八〕。茲にはその詮索よりは、何処にかく機具——殊に<ruby><rb>筬</rb><rp>(</rp><rt>オサ</rt><rp>)</rp></ruby>を持った女性が人柱に立ったのであるかの考覈を試みねばならぬ。
これに似た話は、讃岐国香川郡仏生町の<ruby><rb>榺</rb><rp>(</rp><rt>チキリノ</rt><rp>)</rp></ruby>宮(祭神若日女)の由来である。社伝に治承二年平清盛が、阿波民部に命じて、淺野という処へ貯水池を掘らせたが、度々堤が崩れるので、陰陽師に占わせしに、人を以て埋めれば成就するとのことで、或る朝路上に出でて行人を候うと、会々<ruby><rb>柚</rb><rp>(</rp><rt>チギリ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰。機織具)を持ち、<ruby><rb>筬</rb><rp>(</rp><rt>オサ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰。同上)を懐にした婦人が来たので、これを人柱に立てた。然るに、その柚が化して松樹となり、筬が化して竹林となり、殃いするので祠を立て神と祀った〔七〕。此の話の筋は池中において機を織る音がするという「機織池伝説」と共通している点が存しているが〔八〕。茲にはその詮索よりは、何処にかく機具――殊に<ruby><rb>筬</rb><rp>(</rp><rt>オサ</rt><rp>)</rp></ruby>を持った女性が人柱に立ったのであるかの考覈を試みねばならぬ。


これに就いても、先輩の研究が発表されているが〔九〕、私の信ずるところを簡単に言えば、これはオサメと通称する巫女が〔一〇〕、人身御供となったのを、オサと筬の国音の通ずるところから、機具を持てる女とまで転訛したものだと考えている。若狭国三方郡東村大字阪尻の国吉山の北麓の水田は、往昔は一面の池であったが、或年の冬の日に、一人の女が機具を持って池の氷の上を通る折に、氷が破れて落ちて死んだ。それ以後は水中に機の音を聞くことがある。村民憐んで祠を建ててその霊を祀り、これを機織池と云い、池を機織池と名づけたとあるのは〔一一〕、オサメの人身御供伝説に、機織池伝説が付会されたものと考えている。而して斯く巫女が人身御供となったのは、それが神を和める聖職に居った為めであることは言うまでもない。
これに就いても、先輩の研究が発表されているが〔九〕、私の信ずるところを簡単に言えば、これはオサメと通称する巫女が〔一〇〕、人身御供となったのを、オサと筬の国音の通ずるところから、機具を持てる女とまで転訛したものだと考えている。若狭国三方郡東村大字阪尻の国吉山の北麓の水田は、往昔は一面の池であったが、或年の冬の日に、一人の女が機具を持って池の氷の上を通る折に、氷が破れて落ちて死んだ。それ以後は水中に機の音を聞くことがある。村民憐んで祠を建ててその霊を祀り、これを機織池と云い、池を機織池と名づけたとあるのは〔一一〕、オサメの人身御供伝説に、機織池伝説が付会されたものと考えている。而して斯く巫女が人身御供となったのは、それが神を和める聖職に居った為めであることは言うまでもない。
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