日本巫女史/第一篇/第四章/第三節」を編集中

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かく、血の神秘と、呪力を信じた古代人が、その血を呪術的方面に利用せんと企てたことも、又た当然のことと言わなければならぬ。そして是れが最初の利用は血そのものを飲むと云うことであった。現に我国の侠客と称する者の間において、親分乾児の義を結ぶ盃をするとき、又は兄弟分の盃をするときに、血を酒に和して飲み合うのは〔一〕、これが名残をとどめたものであって、此の事は一面から見れば、親分の血を飲むことによって、親分の有する力を分け与えられたものとする精神的の誓いであって、更に他の一面から見れば、これが為めに親分の命令には絶対に服従する社会的の盟いであった。近年まで、山形県田川郡の各村々では、結婚式を挙げる折に、新郎は左の無名指から、新婦は右の無名指から、針を刺して血を出し、それを一つの盃に入れて飲み合うたというが〔二〕、これは血を飲むことが直ちにお互いの魂を飲み合うことを意味したものであることは言うまでもない。武士階級に行われた血判なるものも、又た此の思想に由来していることは勿論である。
かく、血の神秘と、呪力を信じた古代人が、その血を呪術的方面に利用せんと企てたことも、又た当然のことと言わなければならぬ。そして是れが最初の利用は血そのものを飲むと云うことであった。現に我国の侠客と称する者の間において、親分乾児の義を結ぶ盃をするとき、又は兄弟分の盃をするときに、血を酒に和して飲み合うのは〔一〕、これが名残をとどめたものであって、此の事は一面から見れば、親分の血を飲むことによって、親分の有する力を分け与えられたものとする精神的の誓いであって、更に他の一面から見れば、これが為めに親分の命令には絶対に服従する社会的の盟いであった。近年まで、山形県田川郡の各村々では、結婚式を挙げる折に、新郎は左の無名指から、新婦は右の無名指から、針を刺して血を出し、それを一つの盃に入れて飲み合うたというが〔二〕、これは血を飲むことが直ちにお互いの魂を飲み合うことを意味したものであることは言うまでもない。武士階級に行われた血判なるものも、又た此の思想に由来していることは勿論である。


人の血を飲むことが、他の動物の血に移されることは、極めて自然の経過と見るべきである。人の血が容易に得られなくなるようになれば、動物中の特に霊性あるものと信じた鹿や猪の血を以てこれに代えることは、少しも不思議のない遷り変りである。殊にそれが、民間の対症療法として、或る種の病気には或る種の動物の血が効くと云うようになれば、想いも寄らぬ動物の血が、呪術的に飲まれるのは、寧ろ有り得べきこととしなければならぬ。疾病と呪術の関係については、後章に巫女の職務を説く折に詳述したいと考えているので、茲には多く言うことを避けるとするが、血が呪術の材料として用いられたことは決して珍らしくはなかったのである。今に肺病には鼈の血が、肺炎には鯡鯉の血が利くとて好んで飲み、琉球では重病者に、生きた豚に竹の管を刺して熱い血を飲ませるなど、有り触れた事実として見聞するのである。此の事は医学的に言えば一種の輸血法として説明されるのであろうが、こういう点からも、呪術は科学の母であったことが想い合されるのである。
人の血を飲むことが、他の動物の血に移されることは、極めて自然の経過と見るべきである。人の血が容易に得られなくなるようになれば、動物中の特に霊性あるものと信じていた鹿や猪の血を以てこれに代えることは、少しも不思議のない遷り変りである。殊にそれが、民間の対症療法として、或る種の病気には或る種の動物の血が効くと云うようになれば、想いも寄らぬ動物の血が、呪術的に飲まれるのは、寧ろ有り得べきこととしなければならぬ。疾病と呪術の関係については、後章に巫女の職務を説く折に詳述したいと考えているので、茲には多く言うことを避けるとするが、血が呪術の材料として用いられたことは決して珍らしくはなかったのである。今に肺病には鼈の血が、肺炎には鯡鯉の血が効くとて好んで飲み、琉球では重病者に、生きた豚に竹の管を刺して熱い血を飲ませるなど、有り触れた事実として見聞するのである。此の事は医学的に言えば一種の輸血法として説明されるのであろうが、こういう点からも、呪術は科学の母であったことが想い合されるのである。


「播磨国風土記」讃容郡の条に、
「播磨国風土記」讃容郡の条に、


: 所以云讃容者、大神姉妋二柱、各競占国之時、妹玉津日女命、捕臥生鹿、割其腹而種稲其血、仍一夜之間生苗、即令取殖(中略)。即<ruby><rb>鹿枚山</rb><rp>(</rp><rt>シカヲコロシシヤマ</rt><rp>)</rp></ruby>号鹿庭山云々。
: 所以云讃容者、大神姉妋二柱、各競占国之時、妹玉津日女命、捕臥生鹿、割其腹而種稲其血、仍一夜之間生苗、即令取殖(中略)。即<ruby><rb>鹿枚山</rb><rp>(</rp><rt>シカヲコロシヽヤマ</rt><rp>)</rp></ruby>号鹿庭山云々。


とあるのは、鹿の血に稲種を浸して播いたために、稲が一夜にして苗を生じたことを言うたのであって、即ち血液に呪力を信じたものなのである。由来、我国には北野神社の一夜松の伝説を始めとして〔三〕、各地に一夜にして生えた杉とか、松とか云うもの、又は一夜稲とか、一夜麦とか云う伝説が沢山に存しているが、これはその始めは「播磨風土記」に現れたように、神の意を占うべき<ruby><rb>誓</rb><rp>(</rp><rt>ウケイ</rt><rp>)</rp></ruby>として行ったのであるが、それが仏教が渡来してからは仏徒に利用され、その奇蹟を示す手段として行われるようになった。弘法大師が一夜にして稲の芽を出させたなどいうのは、その土に蟻の塔(これは非常に蟻酸を含んでいる)を交ぜて播種すると促生する理法を用いたものだと聞いている。「播磨風土記」の記事は、勿論蟻酸などを用いたものでなく、鹿の血に種を浸したので促生したという、呪力の説明をしたのに外ならぬのである。
とあるのは、鹿の血に稲種を浸して播いたために、稲が一夜にして苗を生じたことを言うたのであって、即ち血液に呪力を信じたものなのである。由来、我国には北野神社の一夜松の伝説を始めとして〔三〕、各地に一夜にして生えた杉とか、松とか云うもの、又は一夜稲とか、一夜麦とか云う伝説が沢山に存しているが、これはその始めは「播磨風土記」に現れたように、神の意を占うべき<ruby><rb>誓</rb><rp>(</rp><rt>ウケイ</rt><rp>)</rp></ruby>として行ったのであるが、それが仏教が渡来してからは仏徒に利用され、その奇蹟を示す手段として行われるようになった。弘法大師が一夜にして稲の芽を出させたなどいうのは、その土に蟻の塔(これは非常に蟻酸を含んでいる)を交ぜて播種すると促生する理法を用いたものだと聞いている。「播磨風土記」の記事は、勿論蟻酸などを用いたものでなく、鹿の血に種を浸したので促生したという、呪力の説明をしたのに外ならぬのである。
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而して同書賀毛郡<ruby><rb>雲潤里</rb><rp>(</rp><rt>ウルミノサト</rt><rp>)</rp></ruby>の条にも、血を呪術に用いた例が載せてある。
而して同書賀毛郡<ruby><rb>雲潤里</rb><rp>(</rp><rt>ウルミノサト</rt><rp>)</rp></ruby>の条にも、血を呪術に用いた例が載せてある。


: 丹津日子神、法太之川底欲越雲潤之方、云爾之時、在於彼村、大水神辞云吾以<ruby><rb>宍血</rb><rp>(</rp><rt>シシノチ</rt><rp>)</rp></ruby>佃故、不欲河水云々。
: 丹津日子神、法太之川底欲越雲潤之方、云爾之時、在於彼村、大水神辞云吾以<ruby><rb>宍血</rb><rp>(</rp><rt>シヽノチ</rt><rp>)</rp></ruby>佃故、不欲河水云々。


これは稲種を血に浸したのではなくて、宍血を以て田を作る——即ち宍血を肥料にしたというほどの意味に云われているけれど、それが呪術的の効能を期待されて用いられたことは想像に難くない。誰でも知っていることではあるが「古語拾遺」に御歳神が怒って田の稲苗を枯らしたとき、大地主神が、その怒りを<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>ナゴ</rt><rp>)</rp></ruby>めるため『以牛宍置溝口』かせたのも、また牛宍の有っている血の呪力を信じたためである。
これは稲種を血に浸したのではなくて、宍血を以て田を作る——即ち宍血を肥料にしたというほどの意味に云われているけれど、それが呪術的の効能を期待されて用いられたことは想像に難くない。誰でも知っていることではあるが「古語拾遺」に御歳神が怒って田の稲苗を枯らしたとき、大地主神が、その怒りを<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>ナゴ</rt><rp>)</rp></ruby>めるため『以牛宍置溝口』かせたのも、また牛宍の有っている血の呪力を信じたためである。
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'''二 唾液'''
'''二 唾液'''


私は先年、客気に駆られて、紀伊国熊野神社の祭神である<ruby><rb>速玉男神</rb><rp>(</rp><rt>ハヤダマヲノカミ</rt><rp>)</rp></ruby>及び<ruby><rb>事解男神</rb><rp>(</rp><rt>コトサカヲノカミ</rt><rp>)</rp></ruby>の両神は、共に唾液の神格化されたものが、後に人格神となったのであると云う考証を発表したことがある〔八〕。勿論、当時の私の研究には多くの欠陥があったので、吾れながらもその粗笨であったことを認めざるを得ぬのであるが、然しその結論である熊野神は唾液の神格化なりと云う点だけは、今に固く主張することが出来ると考えている。私が改めて言うまでもなく、熊野社の祭神である速玉・事解の二神は、諾尊の唾液から成りました事は神典に明記されているところである。これを「日本書紀」に徴するに、その一書に、
私は先年、客気に駆られて、紀伊国熊野神社の祭神である<ruby><rb>速玉男神</rb><rp>(</rp><rt>ハヤダマヲノカミ</rt><rp>)</rp></ruby>及び<ruby><rb>事解男神</rb><rp>(</rp><rt>コトサカヲノカミ</rt><rp>)</rp></ruby>の両神は、共に唾液の神格化されたものが、後に人格神となったのであると云う後証を発表したことがある〔八〕。勿論、当時の私の研究には多くの欠陥があったので、吾れながらもその粗笨であったことを認めざるを得ぬのであるが、然しその結論である熊野神は唾液の神格化なりと云う点だけは、今に固く主張することが出来ると考えている。私が改めて言うまでもなく、熊野社の祭神である速玉・事解の二神は、諾尊の唾液から成りました事は神典に明記されているところである。これを「日本書紀」に徴するに、その一書に、


: 伊弉諾尊追伊弉冊尊所在処(中略)。及所唾之時、化出神号曰速玉之男、次掃之時、化出神号曰泉津事解之男、凡二神矣云々。
: 伊弉諾尊追伊弉冊尊所在処(中略)。及所唾之時、化出神号曰速玉之男、次掃之時、化出神号曰泉津事解之男、凡二神矣云々。


と載せてある。而して斯くの如く唾液が神格化されるようになったのは、古く唾液には呪力が在るものと信じられた為である。諾尊が冊尊を追うて黄泉国に到り、<ruby><rb>絶妻</rb><rp>(</rp><rt>コトドワタ</rt><rp>)</rp></ruby>してその穢れに触れたので、此の汚き国を去るに臨んで唾液を吐かれたのは、此の呪力によって、悪気または邪気を払われたのである。
と載せてある。而して斯くの如く唾液が神格化されるようになったのは、古く唾液には呪力が在るものと信じられた為である。諾尊が冊尊を追うて黄泉国に到り、<ruby><rb>絶妻</rb><rp>(</rp><rt>コトヾワタ</rt><rp>)</rp></ruby>してその穢れに触れたので、此の汚き国を去るに臨んで唾液を吐かれたのは、此の呪力によって、悪気または邪気を払われたのである。


唾液の有した呪力に就いては、これを民俗学的に見るときは、古今を通じて、その例証の多きに苦しむほどであるが、それを一々載せることは差控えるとして〔九〕、更に、事解神に就いて私見を述べんに、これは大和葛城の一言主神が、<ruby><rb>善言</rb><rp>(</rp><rt>ヨゴト</rt><rp>)</rp></ruby>も<ruby><rb>一言</rb><rp>(</rp><rt>ヒトコト</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>悪言</rb><rp>(</rp><rt>マガコト</rt><rp>)</rp></ruby>も<ruby><rb>一言</rb><rp>(</rp><rt>ヒトコト</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>言離</rb><rp>(</rp><rt>コトサカ</rt><rp>)</rp></ruby>の神、我れは葛城の一言主神なりと<ruby><rb>宣</rb><rp>(</rp><rt>ノ</rt><rp>)</rp></ruby>られた〔一〇〕。その言離と同じ意味であって、現代語で云えば、唾液を吐いたのは、契りを絶った証拠であって、これ以後は言語も交わさぬぞと云うことなのである。一言主神の言離も、善悪ともに一言に云うぞ、再び問い返しても一度言離りした上は答えぬぞ、と云う意味である〔一一〕。
唾液の有した呪力に就いては、これを民俗学的に見るときは、古今を通じて、その例証の多きに苦しむほどであるが、それを一々載せることは差控えるとして〔九〕、更に、事解神に就いて私見を述べんに、これは大和葛城の一言主神が、<ruby><rb>善言</rb><rp>(</rp><rt>ヨゴト</rt><rp>)</rp></ruby>も<ruby><rb>一言</rb><rp>(</rp><rt>ヒトコト</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>悪言</rb><rp>(</rp><rt>マガコト</rt><rp>)</rp></ruby>も<ruby><rb>一言</rb><rp>(</rp><rt>ヒトコト</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>言離</rb><rp>(</rp><rt>コトサカ</rt><rp>)</rp></ruby>の神、我れは葛城の一言主神なりと<ruby><rb>宣</rb><rp>(</rp><rt>ノ</rt><rp>)</rp></ruby>られた〔一〇〕。その言離と同じ意味であって、現代語で云えば、唾液を吐いたのは、契りを絶った証拠であって、これ以後は言語も交わさぬぞと云うことなのである。一言主神の言離も、善悪ともに一言に云うぞ、再び問い返しても一度言離りした上は答えぬぞ、と云う意味である〔一一〕。


而して此の神話から派生した唾液の呪力は、古代人の固く信仰していたものと見えて一二の記録に残されている。「日本書紀」神代巻に、天孫彦火々出見尊が兄火酢芹命と山幸海幸を交換し、兄の鈎を失いて海神の宮に至り、海神が此の鈎を得て尊に授けるときに教えるに『兄の鈎を還さん時に、天孫則ち言ひますべし、汝が生子の八十<ruby><rb>連属</rb><rp>(</rp><rt>ツヅキ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>裔</rb><rp>(</rp><rt>ノチ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>貧鈎</rb><rp>(</rp><rt>マチヂ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>狭々貧鈎</rb><rp>(</rp><rt>ササマチヂ</rt><rp>)</rp></ruby>と言い訖りて、三たび<ruby><rb>下唾</rb><rp>(</rp><rt>ツバ</rt><rp>)</rp></ruby>きて与へたまへ』と載せ、更に「古語拾遺」にも、御歳神の子が、大地主神の作れる田に至り『唾饗而還』と記したのは、二つともに唾液の呪力を示したものである。
而して此の神話から派生した唾液の呪力は、古代人の固く信仰していたものと見えて一二の記録に残されている。「日本書紀」神代巻に、天孫彦火々出見尊が兄火酸斤命と山幸海幸を交換し、兄の鈎を失いて海神の宮に至り、海神が此の鈎を得て尊に授けるときに教えるに『兄の鈎を還さん時に、天孫則ち言ひますべし、汝が生子の八十<ruby><rb>連属</rb><rp>(</rp><rt>ツヾキ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>裔</rb><rp>(</rp><rt>ノチ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>貧鈎</rb><rp>(</rp><rt>マチヂ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>狭々貧鈎</rb><rp>(</rp><rt>サヽマチヾ</rt><rp>)</rp></ruby>と言い訖りて、三たび<ruby><rb>下唾</rb><rp>(</rp><rt>ツバ</rt><rp>)</rp></ruby>きて与へたまへ』と載せ、更に「古語拾遺」にも、御歳神の子が、大地主神の作れる田に至り『唾饗而還』と記したのは、二つともに唾液の呪力を示したものである。


而して以上の記事は、一般の呪術に関するものであって、特に巫女に限られたものではないのであるが、今はさる選択をせずに記述したまでである。巫女が唾液を呪術に用いたことに就いては、後章において触れる考えである。
而して以上の記事は、一般の呪術に関するものであって、特に巫女に限られたものではないのであるが、今はさる選択をせずに記述したまでである。巫女が唾液を呪術に用いたことに就いては、後章において触れる考えである。
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