日本巫女史/第一篇/第四章/第二節」を編集中

ナビゲーションに移動 検索に移動
警告: ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。ログインまたはアカウントを作成すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。

この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。

最新版 編集中の文章
27行目: 27行目:
然るに、此の腎臓の色は紫であって、それが<ruby><rb>干</rb><rp>(</rp><rt>かわ</rt><rp>)</rp></ruby>き<ruby><rb>固</rb><rp>(</rp><rt>かた</rt><rp>)</rp></ruby>まると、恰も勾玉の如き形状となる。赤き心に対して紫の<ruby><rb>腎</rb><rp>(</rp><rt>きも</rt><rp>)</rp></ruby>、これは支那で発達した陰陽五行の説を医術に採用し、心、腎、肺、脾、肝の五臓に、赤、青、黄、白、黒の五色を箝当した医書を見ぬ以前において、確かに、此の赤心紫腎だけの事実は、遠い先祖達の知っていた所である。私は此の干し固めた腎臓を胸に懸けたのが勾玉の古い<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>であって、然もむら肝の枕辞をなした所以だと考えている〔四〕。而して斯く腎臓を胸に懸けたのは、(一)山ノ神に捧げた心臓に対して、自分等がこれを所持することは、神の加護を受けるものとして、(二)性器崇拝の結果はこれに呪力の存在するものとして、(三)原始時代の勇者の徴章又は装身具として用いたものと信ずるのである。
然るに、此の腎臓の色は紫であって、それが<ruby><rb>干</rb><rp>(</rp><rt>かわ</rt><rp>)</rp></ruby>き<ruby><rb>固</rb><rp>(</rp><rt>かた</rt><rp>)</rp></ruby>まると、恰も勾玉の如き形状となる。赤き心に対して紫の<ruby><rb>腎</rb><rp>(</rp><rt>きも</rt><rp>)</rp></ruby>、これは支那で発達した陰陽五行の説を医術に採用し、心、腎、肺、脾、肝の五臓に、赤、青、黄、白、黒の五色を箝当した医書を見ぬ以前において、確かに、此の赤心紫腎だけの事実は、遠い先祖達の知っていた所である。私は此の干し固めた腎臓を胸に懸けたのが勾玉の古い<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>であって、然もむら肝の枕辞をなした所以だと考えている〔四〕。而して斯く腎臓を胸に懸けたのは、(一)山ノ神に捧げた心臓に対して、自分等がこれを所持することは、神の加護を受けるものとして、(二)性器崇拝の結果はこれに呪力の存在するものとして、(三)原始時代の勇者の徴章又は装身具として用いたものと信ずるのである。


猶お此の機会において併せ考うべき事は、古代人は勾玉を霊魂の宿るもの〔五〕、若しくは霊魂の形と思っていたと云う点である。これも理由を述べると長くなるので結論だけ言うが、我国で、魂と玉を、同じ<ruby><rb>語</rb><rp>(</rp><rt>ことば</rt><rp>)</rp></ruby>の「タマ」で呼んでいたのは、此のことを裏付けるものと見て差支ないようである。玉を呪術に用いたことは周知のことである上に、勾玉の解説が余りに長くなったので他は省略する。
猶ほ此の機会において併せ考うべき事は、古代人は勾玉を霊魂の宿るもの〔五〕、若しくは霊魂の形と思っていたと云う点である。これも理由を述べると長くなるので結論だけ言うが、我国で、魂と玉を、同じ<ruby><rb>語</rb><rp>(</rp><rt>ことば</rt><rp>)</rp></ruby>の「タマ」で呼んでいたのは、此のことを裏付けるものと見て差支ないようである。玉を呪術に用いたことは周知のことである上に、勾玉の解説が余りに長くなったので他は省略する。


'''二 鏡'''
'''二 鏡'''
35行目: 35行目:
: 則抜磯津山賢木、以上枝挂八握剣、中枝挂八咫鏡、下枝挂八尺瓊、亦<ruby><rb>素</rb><rp>(</rp><rt>シラ</rt><rp>)</rp></ruby>幡樹于船舳。
: 則抜磯津山賢木、以上枝挂八握剣、中枝挂八咫鏡、下枝挂八尺瓊、亦<ruby><rb>素</rb><rp>(</rp><rt>シラ</rt><rp>)</rp></ruby>幡樹于船舳。


とあるのは、当時、呪具として最高位の鏡、剣、玉を用いたものであって、これと全く同一なる記事が「仲哀紀」にも載せてある所を見ると〔六〕、かなり広く行われていたことが知られるのである。而して鏡が照魔の具として用いられたこと、及び巫女に限って鏡を所持した事などは、共に鏡が呪具として重きをなしていたことが想像される。「万葉集」巻十四の『山鳥のをろの<ruby><rb>秀津尾</rb><rp>(</rp><rt>ハツヲ</rt><rp>)</rp></ruby>に鏡懸け、唱ふべみこそ<ruby><rb>汝</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>寄</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>そりけめ』とあるのは、蒙古に行われるハタツク(此事は[[日本巫女史/第一篇/第七章/第三節|次章]]に云う)と共通の物のように想われるが、兎に角に山鳥は古くから霊鳥として信仰され、且つ十三の<ruby><rb>斑</rb><rp>(</rp><rt>フ</rt><rp>)</rp></ruby>を有する尾は呪物として崇拝されたものであって〔七〕、然もその山鳥の<ruby><rb> 秀尾 </rb><rp>(</rp><rt>ハツヲ</rt><rp>)</rp></ruby>へ鏡を懸けるとは、言う迄もなく、立派な呪具であったのである。それ故に下の句の『唱ふべみこそ汝に寄そりけめ』とは、即ち魂を引き寄せるだけの力があるものと考えられていたのである。猶お、鏡に就いては、[[日本巫女史/第一篇/第五章/第四節|第五章第四節]]「憑るべの水」の条にも記すので、それを参照せられんことを希望して、茲には概略にとどめるとする。
とあるのは、当時、呪具として最高位の鏡、剣、玉を用いたものであって、これと全く同一なる記事が「仲哀紀」にも載せてある所を見ると〔六〕、かなり広く行われていたことが知られるのである。而して鏡が照魔の具として用いられたこと、及び巫女に限って鏡を所持した事などは、共に鏡が呪具として重きをなしていたことが想像される。「万葉集」巻十四の『山鳥のをろの<ruby><rb>秀津尾</rb><rp>(</rp><rt>ハツヲ</rt><rp>)</rp></ruby>に鏡懸け、唱ふべみこそ<ruby><rb>汝</rb><rp>(</rp><rt>ナ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>寄</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>そりけめ』とあるのは、蒙古に行われるハタツク(此事は[[日本巫女史/第一篇/第七章/第三節|次章]]に云う)と共通の物のように想われるが、兎に角に山鳥は古くから霊鳥として信仰され、且つ十三の<ruby><rb>斑</rb><rp>(</rp><rt>フ</rt><rp>)</rp></ruby>を有する尾は呪物として崇拝されたものであって〔七〕、然もその山鳥の<ruby><rb> 秀尾 </rb><rp>(</rp><rt>ハツヲ</rt><rp>)</rp></ruby>へ鏡を懸けるとは、言う迄もなく、立派な呪具であったのである。それ故に下の句の『唱ふべみこそ汝に寄そりけめ』とは、即ち魂を引き寄せるだけの力があるものと考えられていたのである。猶ほ、鏡に就いては、[[日本巫女史/第一篇/第五章/第四節|第五章第四節]]「憑るべの水」の条にも記すので、それを参照せられんことを希望して、茲には概略にとどめるとする。


'''三 剣'''
'''三 剣'''
Docsへの投稿はすべて、他の投稿者によって編集、変更、除去される場合があります。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください(詳細はDocs:著作権を参照)。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!

このページを編集するには、下記の確認用の質問に回答してください (詳細):

取り消し 編集の仕方 (新しいウィンドウで開きます)