「日本巫女史/第一篇/第四章/第四節」を編集中
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由来、我国の<ruby><rb>尸坐</rb><rp>(</rp><rt>ヨリマシ</rt><rp>)</rp></ruby>(ここには非職業的の意味の者を云う)が、神憑りの状態に入るには、(一)尸坐の身近くで火を焚くこと、(二)集った者が一斉に或る種の呪文を唱和することの二つが、大切なる要件とせられていた。鈿女命の場合に見るも「日本書紀」には明白に『火処焼』と載せている〔六〕。然るに、此の斎庭に集った神々が、何等の唱和をしなかったのは、鈿女命が神憑りに熟練していたために、かかる手数を要さなかったのであるかも知れぬが、それにしても少しく物足らぬ思いのせらるるのが、本居翁の解釈に従えば、これが救われることとなるのである。且つ笹ノ葉をたたく音が、神を招きて身に憑ける合図としたことは、卓見とすべきである。 | 由来、我国の<ruby><rb>尸坐</rb><rp>(</rp><rt>ヨリマシ</rt><rp>)</rp></ruby>(ここには非職業的の意味の者を云う)が、神憑りの状態に入るには、(一)尸坐の身近くで火を焚くこと、(二)集った者が一斉に或る種の呪文を唱和することの二つが、大切なる要件とせられていた。鈿女命の場合に見るも「日本書紀」には明白に『火処焼』と載せている〔六〕。然るに、此の斎庭に集った神々が、何等の唱和をしなかったのは、鈿女命が神憑りに熟練していたために、かかる手数を要さなかったのであるかも知れぬが、それにしても少しく物足らぬ思いのせらるるのが、本居翁の解釈に従えば、これが救われることとなるのである。且つ笹ノ葉をたたく音が、神を招きて身に憑ける合図としたことは、卓見とすべきである。 | ||
襷をかけること及び鬘をすることは、共に神に仕える者の当然の装身法であった。祝詞に『忌部の弱肩に太襷とり掛けて』と屢記されているのがそれであって、更に「古今集」の採物歌に『巻向の穴師の山の山人と、人も見るがに山鬘せよ』とあるが如く、鬘の有無を以て山人と神人との区別をしたのである。而して此の襷は、後世の神道家なる者に重要視せられた<ruby><rb>木綿襁</rb><rp>(</rp><rt>ユウタスキ</rt><rp>)</rp></ruby>となり、鬘は民俗としては鉢巻となったのである〔七〕。琉球のノロが現今でも三味線蔓の葉を以て鬘とするのは、蓋し鈿女命の遺風を残したものであろう。 | |||
'''二 賢木''' | '''二 賢木''' |