日本巫女史/第一篇/第四章/第四節」を編集中

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「古語拾遺」に『片巫{志止/止鳥}』とあることは既記を経たが、さて此の<ruby><rb>志止々鳥</rb><rp>(</rp><rt>シトトトリ</rt><rp>)</rp></ruby>の解釈に就いては、昔から学者の間に異説の多い難問なのである。第一に伴信友翁の説を挙げんに、「正卜考」巻三、片巫、肱巫の条に、
「古語拾遺」に『片巫{志止/止鳥}』とあることは既記を経たが、さて此の<ruby><rb>志止々鳥</rb><rp>(</rp><rt>シトトトリ</rt><rp>)</rp></ruby>の解釈に就いては、昔から学者の間に異説の多い難問なのである。第一に伴信友翁の説を挙げんに、「正卜考」巻三、片巫、肱巫の条に、


: 強ひて思ふに、片は肩にて肱に対する言の如く聞こゆるをもて思へば(中略)、漢国にて股肱ノ臣などいふ心ばへに似て(中略)、然称へるにはあらざるか、猶ほ考ふべし(中略)。さて志止々鳥は、天武紀に、摂津国貢白巫鳥、自注に巫鳥此云<ruby><rb>芝苔々</rb><rp>(</rp><rt>シトド</rt><rp>)</rp></ruby>(中略)。和名抄に、鵐鳥唐韻云鳥名也、音巫、漢語抄云、巫鳥、之止々、新撰字鏡に鵐字をよめり、また名義抄に、{神冠鳥}をカウナイシトトと訓り、この{神冠鳥}字、漢の字書どもに見あたらず、斯方にて制り(中山曰。国字の意)たる字なるべし、其訓カウナイは、<ruby><rb>巫</rb><rp>(</rp><rt>カウナギ</rt><rp>)</rp></ruby>の音便にて、巫しとどと云ふ義なれば、片巫の志止々鳥の占に由あり聞こえ、漢字に鵐と作き、又巫鳥とも云へりと聞こゆるも、おのづから片巫の占に相似て聞ゆ。また枕冊子の、鳥はと云条に、<u>みこどり</u>といへるも、巫鳥と聞こゆ。また秘蔵抄と云ふ書に「かうなぎのかややこ鳥にこととはむ、我思ふ人にいつかあふべき」(中略)。歌林撲樕拾遺に此歌を載て(中略)かややこ鳥は、巫鵐を云ふといへり、これもいの占の事と聞こえたり、されど如何にして卜ふるにか知る由なし云々。
: 強ひて思ふに、片は肩にて肱に対する言の如く聞こゆるをもて思へば(中略)、漢国にて股肱ノ臣などいふ心ばへに似て(中略)、然称へるにはあらざるか、猶ほ考ふべし(中略)。さて志止々鳥は、天武紀に、摂津国貢白巫鳥、自注に巫鳥此云<ruby><rb>芝苔々</rb><rp>(</rp><rt>シトド</rt><rp>)</rp></ruby>(中略)。和名抄に、鵐鳥唐韻云鳥名也、音巫、漢語抄云、巫鳥、之止々、新撰字鏡に鵐字をよめり、また名義抄に、{神冠鳥}をカウナイシトトと訓り、この{神冠鳥}字、漢の字書どもに見あたらず、斯方にて制り(中山曰。国字の意)たる字なるべし、其訓カウナイは、<ruby><rb>巫</rb><rp>(</rp><rt>カウナギ</rt><rp>)</rp></ruby>の音便にて、巫しとゞと云ふ義なれば、片巫の志止々鳥の占に由あり聞こえ、漢字に鵐と作き、又巫鳥とも云へりと聞こゆるも、おのづから片巫の占に相似て聞ゆ。また枕冊子の、鳥はと云条に、<u>みこどり</u>といへるも、巫鳥と聞こゆ。また秘蔵抄と云ふ書に「かうなぎのかややこ鳥にこととはむ、我思ふ人にいつかあふべき」(中略)。歌林撲樕拾遺に此歌を載て(中略)かややこ鳥は、巫鵐を云ふといへり、これもいの占の事と聞こえたり、されど如何にして卜ふるにか知る由なし云々。


第二に、橘守部翁の説を載せんに、「鐘のひびき」巻一において『磨(中山曰。守部自身を指す)もえ心得ず、只年頃いぶかしむのみなり(中略)、かたなりなる試みをも申べし』とて、先ずこれに就いては自信なきことを告白し、さて曰く、
第二に、橘守部翁の説を載せんに、「鐘のひびき」巻一において『磨(中山曰。守部自身を指す)もえ心得ず、只年頃いぶかしむのみなり(中略)、かたなりなる試みをも申べし』とて、先ずこれに就いては自信なきことを告白し、さて曰く、
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然るに私の此の頬白説を打消すに足るほどの資料も存しているのである。第一は、能登国鹿島郡鳥屋村大字<ruby><rb>一青</rb><rp>(</rp><rt>シトト</rt><rp>)</rp></ruby>の地名の由来である。「鹿島郡誌」巻上に「三州志」を引用して『一青をシトトと旁訓せり(中略)。小野蘭山シトト種類多し云々。豈この物に取るか、凡そ地名は土宜獣に取れる者多し』と載せたことである。これに由れば、一青というのであるから、志止々鳥は青い鳥でなければならぬのに、私の言う頬白には青いものは見当らぬようである。
然るに私の此の頬白説を打消すに足るほどの資料も存しているのである。第一は、能登国鹿島郡鳥屋村大字<ruby><rb>一青</rb><rp>(</rp><rt>シトト</rt><rp>)</rp></ruby>の地名の由来である。「鹿島郡誌」巻上に「三州志」を引用して『一青をシトトと旁訓せり(中略)。小野蘭山シトト種類多し云々。豈この物に取るか、凡そ地名は土宜獣に取れる者多し』と載せたことである。これに由れば、一青というのであるから、志止々鳥は青い鳥でなければならぬのに、私の言う頬白には青いものは見当らぬようである。


第二は伴信友翁が『正卜考』志止々鳥の条に細註に『シトトは青みがちなる毛色にて、俗にアヲジとも云ふ、黒焼にして、金瘡などの血をよく止め治る薬なり』の一節である。アヲジが民間薬として用いられたことは私は他の治方も承知しているが〔三八〕、頬白に此のことを聞かぬとすれば、呪術に用いられただけに、私の説には弱いところがあるような気もする。
第二は伴信友翁が『正卜考』志止々鳥の条に細註に『シトトは青みがちなる毛色にて、俗にアヲジとも云ふ、黒焼にして、金瘡などの血をよく止め治る薬なり』の一節である。アヲジが民間薬として用いられたことは私は他の治方も承知しているが〔三八〕、頬白に此のことを聞かぬとすれば、呪術に用いられたゞけに、私の説には弱いところがあるような気もする。


第三は陸中国の「東磐井郡誌」に『<ruby><rb>巫鳥</rb><rp>(</rp><rt>シトトリ</rt><rp>)</rp></ruby>、田野に棲む、冬季食用とすべし』との記事である。これも頬白は食用にならぬから、志止々鳥と頬白とは全く別なものと考えなければならぬこととなる。
第三は陸中国の「東磐井郡誌」に『<ruby><rb>巫鳥</rb><rp>(</rp><rt>シトトリ</rt><rp>)</rp></ruby>、田野に棲む、冬季食用とすべし』との記事である。これも頬白は食用にならぬから、志止々鳥と頬白とは全く別なものと考えなければならぬこととなる。
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