日本巫女史/第三篇

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日本巫女史

第三篇 退化呪法時代

  • 第一章 巫道を退化させた当代の世相
    • 第一節 巫女の流派と是れに対する官憲の態度
      我国の迷信は室町期に集成さる—日本迷信史における黄金時代—江戸期と重刑主義—巫女の流派も混糅されて判然せぬ—紀州熊野系と加賀白山系—丹後に残る梓巫女開祖の伝説—僧寛印のローマンス—武田信玄と甲信二国の神子頭千代女房—戦国の武将は迷信が強い—吉田家支配の神子の特権—山内一豊と神子の取締
    • 第二節 関東の市子頭田村家の消長
      田村八太夫の出自—信用出来ぬ同家の系図—田村家の由来と神事舞太夫—習合神道と舞太夫の関係—田村家の市子取締とその呪法—市子の修業法と田村家の収入—明治維新と田村家の退転
    • 第三節 当山派の修験巫女と吉田家との訴訟
      江戸期における市子の所属—田村八太夫支配の者—当山修験派支配の者—信州禰津村の者—奥州のイタコ系の者—此の外に所属不明の者—所属の相違は利害の相違—意外に複雑している市子の所属—訴訟も収入の関係から—修験派の勝利となる
  • 第二章 当代に於ける巫女と其の呪法
    • 第一節 文献に現われたる各地の巫女と其の呪法
      巫女の堕落と異流淙合—体系を立てることは困難—巫女の持った人形の二種—外法頭を持った巫女—人形を持った巫女—口寄の種類とその作法—生口と死口と神口—手向の水ということ—巫女の唱える神降しの呪文—ユリワカ説教と巫女—イタコのオシラ神の遊ばせ方—オシラ遊びの経文—各地方の市子と其の作法—羽後仙北郡の座頭嚊—陸中東山地方のオカミン—越後三面村の変態的巫術—常陸土浦地方のモリコ—信州の二三の市子と其の作法—大阪市天王寺村の黒格子—紀州地方の算所と巫女の関係—出雲地方の刀自ばなし
    • 第二節 報告で知り得たる各地の巫女と其の呪法
      諸報告に対する著者の態度—奥州のイタコと神附の作法—磐城に残る笹ハタキの呪文—暗示に富んだ貴重の資料—信州禰津の市子の口寄文句—その代表的のもの五種を挙げる—外人の見た巫女の作法とオシラ神—三州刈谷地方の市子と其の作法—美濃太田町附近の市子と作法—近畿地方の市子と性的生活—阿波美馬郡の市子と作法—土佐高知市の市子と其の呪法—筑前直方附近の市子と呪法—是等の諸報告に対する私見
    • 第三節 我国随一の巫女村の起伏
      角田氏の高示で知った巫女村—飯島花月氏の配慮を仰ぐ—信州の名族滋野氏の末路と巫女頭—禰津村の由来とノノウ小路—ノノウの養成法と抱主との関係—巡業中の収入と生活の一班—ノノウの性的生活と旅女郎—ノノウの階級とその遺物
  • 第三章 巫女の社会的地位と其の生活
    • 第一節 歌謡の伝統者としての巫女
      本地物は概して巫女の謡い物—壱岐の巫女と百合若説教—曾我物語も箱根の巫女の謡い物か—盲僧の地神経を読むのも此の影響か—琵琶の発達と盲僧—瞽女の前身は巫女
    • 第二節 日陰者としての巫女の生活
      男神主の配下となった神子—その存在は有るか無きかの情態—名神大社の神楽巫と配当の訴訟—他の者の収入は推して知るべきのみ—町村土着の市子は全く賤民と化す—修験の妻は概して市子—夫婦共かせぎの有様—教育不弁説に載せた竃払と市子の素行—生きんが為めの身過ぎ世渡り
    • 第三節 性的職業婦と化した巫女の末路
      巫女の売笑は新しい問題ではないが—これは又思い切った堕落振り—神和系の神子も口寄系の市子も—情海を泳ぎ廻った途は一つ—熊野比丘尼と伊勢比丘尼—好色本や読み本の材料となった巫女の售春問題—川柳点に現われた彼等の行動
    • 第四節 明治の巫女禁断と爾後の消息
      明治維新と復古神道—鈴振神道は第一に槍玉にあがる—神仏分離から廃仏毀釈へ—常軌を逸した運動も時勢のみ—明治六年の梓巫市子の禁止—翌七年にも又もや禁令—併しながら水に浮草の根は絶えず—今に散在する巫女の潜勢力