「日本巫女史/第三篇/第一章/第一節」を編集中
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室町幕府が是等の巫女に対して、如何なる態度を以て臨んだかに就いては、是れ又た何事も寡聞に入らぬ。併し幕府としては、戦乱に慌しくして、さる些末の事には配慮する余裕もなかったろうし、或は制令を下すようなことがあったとしても、下克上を世相とした当代にあっては、励行されたとは考えられぬ。然るに国々の領主にあっては、おのがしじ適当と信ずる方法を以て、巫女に対していたようである。その一例を覓めれば、武田信玄は巫女を公許し、巫女頭と称する取締人を認め、これに左の如き免許状を与えている〔一〕。 | 室町幕府が是等の巫女に対して、如何なる態度を以て臨んだかに就いては、是れ又た何事も寡聞に入らぬ。併し幕府としては、戦乱に慌しくして、さる些末の事には配慮する余裕もなかったろうし、或は制令を下すようなことがあったとしても、下克上を世相とした当代にあっては、励行されたとは考えられぬ。然るに国々の領主にあっては、おのがしじ適当と信ずる方法を以て、巫女に対していたようである。その一例を覓めれば、武田信玄は巫女を公許し、巫女頭と称する取締人を認め、これに左の如き免許状を与えている〔一〕。 | ||
: | : 今度自信聞附の神託無誹謗真法顕然之至令感人畢依而分国之内右職分ニテ徘徊之輩 | ||
: 対当家江守護長久可抽之旨依而如件 | : 対当家江守護長久可抽之旨依而如件 | ||
: 今福民部<sub>奉</sub> | : 今福民部<sub>奉</sub> | ||
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: 神祇管領 | : 神祇管領 | ||
: 右之外中臣祓三種祓六根清浄大祓相渡也 | : 右之外中臣祓三種祓六根清浄大祓相渡也 | ||
: | : 右は吉田家より長久保町神子志摩へ之許状写也、且神子官位之儀者、師匠神主祠官等之取次にて相添由志摩申聞候、且国名を不附朝日春日抔と申名之神子は無官にて、瓔珞金入之千早等者不相成神子祠子山伏等を師として七条抔と申法を請、鶴亀模様等之白絹千早着神楽等勤候段、右志摩申聞候事。 | ||
即ち此の裁許状の証示するところに由れば、(一)神子は、志摩とか、山城とか、国名を附けることが出来たが、市子は、それが出来ぬので、朝日とか、春日とか称したのである。(二)神子は、瓔珞金入りの千早を着ることが出来たが、市子は鶴亀模様の白絹の千早より着ることが出来なかった。猶お後出の文書によると、(三)神子は、湯立の神事を行うことを許されていたが、市子は行うことを禁じられていたようである。而して後者の所属(関八州の市子の事は[[日本巫女史/第三篇/第一章/第二節|次節]]に述べる)に就いては、「民族と歴史」第四巻第四号所載の「須富田村(中山曰。土佐国香美郡?)疋田七五三太夫文書」に下の如き下知状が見えている。 | 即ち此の裁許状の証示するところに由れば、(一)神子は、志摩とか、山城とか、国名を附けることが出来たが、市子は、それが出来ぬので、朝日とか、春日とか称したのである。(二)神子は、瓔珞金入りの千早を着ることが出来たが、市子は鶴亀模様の白絹の千早より着ることが出来なかった。猶お後出の文書によると、(三)神子は、湯立の神事を行うことを許されていたが、市子は行うことを禁じられていたようである。而して後者の所属(関八州の市子の事は[[日本巫女史/第三篇/第一章/第二節|次節]]に述べる)に就いては、「民族と歴史」第四巻第四号所載の「須富田村(中山曰。土佐国香美郡?)疋田七五三太夫文書」に下の如き下知状が見えている。 |