日本巫女史/第三篇/第一章/第二節」を編集中

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:      神事舞太夫並梓巫女之事
:      神事舞太夫並梓巫女之事
:        神事舞太夫次第書
:        神事舞太夫次第書
: 一、神事舞太夫家法之儀は、往古遠久之職道にて国々散在致し、何れも習合之神道之則法を以、且中之諸祈祷相勤来申候、然に社法之儀者天台真言社家、並本山修験等之宮々に順往古より社礼を相勤申候、依之其社々之衣之装束風折烏帽子着用致し相勤申候、且又梓巫女権与之儀者、往古遠久呪歌之伝授にて、梓神子一家之法式にて他家に不伝、習合神道之行法を以諸祈祷等相勤申候、有増如斯御座候事、諸国配下の者共の儀は、乍恐常陸国水戸東照宮様御神事を奉初、同国金砂大権現大祭礼七十三年一度宛の御神事、正徳五年三月朔日に執行仕候まで十三度に及申候、依之国々に於て社礼之儀、天下泰平御武運御長久御祭礼相勤来申候事。
: 一、神事舞太夫家法之儀は、往古遠久之職道にて国々散在致し、何れも習合之神道之則法を以、且中之諸祈祷相勤来申候、然に社法之儀者天台真言社家、並本山修験等之宮々に順往古より社礼を相勤申候、依之其社々之衣之装束風折烏帽子着用致し相勤申候、且又梓巫女権与之儀者、往古遠久呪歌之伝授にて、梓神子一家之法式にて他家に不伝、習合神道之行法を以諸祈祷等相勤申候、有増加斯御座候事、諸国配下の者共の儀は、乍恐仕候まで十三度に及申候、依之国々に於て社礼之儀、天下泰平御武運御長久御祭礼相勤来申候事。
: 一、元禄十五年閏八月二十七日西宮神職と争論之節、阿部飛騨守様、永井伊賀守様、本多弾正少弼様御裁許之上にて猶以相極申候、各社役之儀、<ruby><rb>委</rb><rp>(</rp><rt>ママ</rt><rp>)</rp></ruby>は正徳元年卯正月十八日本多弾正少弼様、森川出羽守様、安藤右京進様御裁許の上にて、梓神子法例文章御吟味之上御極被下置候事。
: 一、元禄十五年閏八月二十七日西宮神職と争論之節、阿部飛騨守様、永井伊賀守様、本多弾正少弼様御裁許之上にて猶以相極申候、各社役之儀、<ruby><rb>委</rb><rp>(</rp><rt>ママ</rt><rp>)</rp></ruby>は正徳元年卯正月十八日本多弾正少弼様、森川出羽守様、安藤右京進様御裁許の上にて、梓神子法例文章御吟味之上御極被下置候事。
: 右は今般家法之儀御尋に付、支配頭田村八太夫之儀御座候得者、難尽筆紙之儀は、猶又御尋も御座候はば、乍恐以口上逐一言上可申上候、以上
: 右は今般家法之儀御尋に付、支配頭田村八太夫之儀御座候得者、難尽筆紙之儀は、猶又御尋も御座候はば、乍恐以口上逐一言上可申上候、以上
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