「日本巫女史/第三篇/第一章/第二節」を編集中
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八太夫の記事の一節に | 八太夫の記事の一節に | ||
: <u>いち</u> | : <u>いち</u>子は七つから十五歳まで、諸方ほ神社へ八丁<ruby><rb>舞籠</rb><rp>(</rp><rt>マイコモリ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>神楽巫女</rb><rp>(</rp><rt>カグラミコ</rt><rp>)</rp></ruby>に差出し(中山曰。これは、神楽<u>みこ</u>と、口寄<u>みこ</u>とを混同したように思われるが、今は原文に従うこととする)、十五歳になると身体が汚れるので、早速結婚させ、古くから此の掟を守って来た。市子の修業は、宰領(中山曰。前掲の飯嶋与太夫の文書に「国役人」とあるのと同意であろう)とて、市子二十人位に一人づつ取締を置き、地方では宰領の許に収容して、これが一切の教えをしたものである。若い市子連を、国々へ出張修行させたのは、これは国々の<ruby><rb>訛</rb><rp>(</rp><rt>なま</rt><rp>)</rp></ruby>りを覚えさせるためで、訛りを知らぬと、口寄せの文句が、誠らしく聞えぬからである云々(以上「都新聞」記事摘要)。 | ||
とある。而して常子さんが、私に示してくれた書類によると、此の修行は、九気、玉占(珠数占の事)、六首六張、<ruby><rb>神差帰上</rb><rp>(</rp><rt>ミサキアゲ</rt><rp>)</rp></ruby>(死霊を祀る事)、八方責、神占等の二十六種に分れていたが、果して之だけ教えたものか否か、実際は判然しなかった。而して、常子さんの語る所によると、 | とある。而して常子さんが、私に示してくれた書類によると、此の修行は、九気、玉占(珠数占の事)、六首六張、<ruby><rb>神差帰上</rb><rp>(</rp><rt>ミサキアゲ</rt><rp>)</rp></ruby>(死霊を祀る事)、八方責、神占等の二十六種に分れていたが、果して之だけ教えたものか否か、実際は判然しなかった。而して、常子さんの語る所によると、 |