「日本巫女史/第三篇/第三章/第三節」を編集中
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猶お此の場合に、併せ考えて見なければならぬことは、民間において、市子と関係するのを、幸福を増し、<ruby><rb>利益</rb><rp>(</rp><rt>りやく</rt><rp>)</rp></ruby>を加えるものと迷信した土俗の存したことである。信州の松本市附近の村落では、昔は此の迷信が強く行われていて、旅をかけた市子が来ると、その宿を若者が競うて襲うたものだと云うことである〔五〕。かかる迷信が何によって発生したか、更に此の迷信が<ruby><rb>何時</rb><rp>(</rp><rt>いつ</rt><rp>)</rp></ruby>ごろから、何れの地方にまで行われたか、他に類例を知らぬ私には、全く見当のつかぬ問題ではあるけれども、田舎わたらいの巫女の性的半面に、斯うした迷信の伴うていることは、注意すべき点だと考えたので、附記して後考を俟つとする。 | 猶お此の場合に、併せ考えて見なければならぬことは、民間において、市子と関係するのを、幸福を増し、<ruby><rb>利益</rb><rp>(</rp><rt>りやく</rt><rp>)</rp></ruby>を加えるものと迷信した土俗の存したことである。信州の松本市附近の村落では、昔は此の迷信が強く行われていて、旅をかけた市子が来ると、その宿を若者が競うて襲うたものだと云うことである〔五〕。かかる迷信が何によって発生したか、更に此の迷信が<ruby><rb>何時</rb><rp>(</rp><rt>いつ</rt><rp>)</rp></ruby>ごろから、何れの地方にまで行われたか、他に類例を知らぬ私には、全く見当のつかぬ問題ではあるけれども、田舎わたらいの巫女の性的半面に、斯うした迷信の伴うていることは、注意すべき点だと考えたので、附記して後考を俟つとする。 | ||
紀州の田辺町では、信州から来る巫女を「白湯文字」と称したことは既述した。而して江戸期になると、京都、大阪、筑前、伊勢、能登などの各地で、私娼の一名を「白湯文字」と呼んだのは、恐らく此の信濃巫女が伝播した不倫に原因しているのではあるまいか〔六〕。私の生れた南下野では、信州から来る「<ruby><rb>歩</rb><rp>(</rp><rt>ある</rt><rp>)</rp></ruby>き巫女」は、私娼と同じ営みを辞さなかったと聞いている。 | |||
; 〔註一〕 : 正徳年中に書かれた増穂残口の「艶道通鑑」巻五。 | ; 〔註一〕 : 正徳年中に書かれた増穂残口の「艶道通鑑」巻五。 |