日本巫女史/第三篇/第二章/第一節」を編集中

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「郷土研究」第三巻第四号に次の如き記事がある。
「郷土研究」第三巻第四号に次の如き記事がある。


: 陸中国東磐井郡門崎村近傍では、巫女をオカミサマと云う。盲目の女子の仕事である。巫女になるには、七箇年の年季で弟子入りし、其期間は師匠の食料までも自弁する定めである。さて一定の修業が終ると「<ruby><rb> 神附 </rb><rp>(</rp><rt>カミツケ</rt><rp>)</rp></ruby>」と云う式を行う。是れがオカミン様の卒業式である。至って荘厳な式で、若しも不浄な者が式場に入れば、神が附かぬと云っている。式の<ruby><rb>荒増</rb><rp>(</rp><rt>あらまし</rt><rp>)</rp></ruby>を言えば、先ず舞台を設けて注連縄を張り、真中に神附せらるべき女子その近親に擁せられ、<ruby><rb>眼</rb><rp>(</rp><rt>ママ</rt><rp>)</rp></ruby>を手拭で鉢巻して坐る。その周囲を多数の巫女が取巻いて坐り祈祷するのである。然る後「何神附いた何神附いた」と問うと、真中に坐った女子「八幡様附いた」とか「愛宕様附いた」とか言う。斯うなれば、一人前の巫女となったものとして大なる祝宴をする。時には神の附かぬことがある。その時は列座の巫女たち御迎と称して坐を立つ。然る後は、大抵「何神附いた」と言うものである。巫女の業務は「<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>クチヨセ</rt><rp>)</rp></ruby>」をすることである。これは死人あったときの一七日、お<ruby><rb>盆</rb><rp>(</rp><rt>ぼん</rt><rp>)</rp></ruby>又は秋の彼岸に、各戸殆どこれを行わぬ者は無い。
: 陸中国東磐井郡門崎村近傍では、巫女をオカミサマと云う。盲目の女子の仕事である。巫女になるには、七箇年の年季で弟子入りし、其期間は師匠の食料までも自弁する定めである。さて一定の修業が終ると「<ruby><rb> 神附 </rb><rp>(</rp><rt>カミツケ</rt><rp>)</rp></ruby>」と云う式を行う。是れがオカミン様の卒業式である。至って荘厳な式で、若しも不浄な者が式場に入れば、神が附かぬと云っている。式の<ruby><rb>荒増</rb><rp>(</rp><rt>あらまし</rt><rp>)</rp></ruby>を言えば、先ず舞台を設けて注連縄を張り、真中に神附せらるべき女子その近親に擁せられ、<ruby><rb>眼</rb><rp>(</rp><rt>ママ</rt><rp>)</rp></ruby>を手拭で鉢巻して坐る。その周囲を多数の巫女が取巻いて坐り祈祷するのである。然る後「何神附いた何神附いた」と問うと、真中に坐った女子「八幡様附いた」とか「愛宕様附いた」とか言う。斯うなれば、一人前の巫女となったものとして大なる祝宴をする。時にはには神の附かぬことがある。その時は列座の巫女たち御迎と称して坐を立つ。然る後は、大抵「何神附いた」と言うものである。巫女の業務は「<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>クチヨセ</rt><rp>)</rp></ruby>」をすることである。これは死人あったときの一七日、お<ruby><rb>盆</rb><rp>(</rp><rt>ぼん</rt><rp>)</rp></ruby>又は秋の彼岸に、各戸殆どこれを行わぬ者は無い。
: 口寄を行うには、巫女は神降しと称して暫時祈祷をした後、希望せらるる死人となって、希望した人に対して言葉哀れに語り出す。婦女子等は大抵泣いて之を聴く。その聴いているうちに<ruby><rb>問口</rb><rp>(</rp><rt>トイクチ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰。古代の<ruby><rb>審神</rb><rp>(</rp><rt>さにわ</rt><rp>)</rp></ruby>である)と云うことをする。即ち聞手の方から口寄につれて色々の事を問うので、巫女はこの問口が無いと語り苦しいものだと云っている。又口寄の言うことの中に「<ruby><rb>日忌</rb><rp>(</rp><rt>ヒイミ</rt><rp>)</rp></ruby>」と云うのがある。例えば何月何日何方へ往けば損をするとか、不治の病に罹るとか云う類である。地方では之を信ずること甚だしく、その日は必ず在宅して謹慎する風がある。この迷信の結果、自分等(寄稿者島畑隆治氏)幼少の時までは、学校さえも欠席したものである。今は日忌の風は次第に薄らいで行くが、巫女に口寄させる風に至っては、まだ減退せぬようである云々。
: 口寄を行うには、巫女は神降しと称して暫時祈祷をした後、希望せらるる死人となって、希望した人に対して言葉哀れに語り出す。婦女子等は大抵泣いて之を聴く。その聴いているうちに<ruby><rb>問口</rb><rp>(</rp><rt>トイクチ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰。古代の<ruby><rb>審神</rb><rp>(</rp><rt>さにわ</rt><rp>)</rp></ruby>である)と云うことをする。即ち聞手の方から口寄につれて色々の事を問うので、巫女はこの問口が無いと語り苦しいものだと云っている。又口寄の言うことの中に「<ruby><rb>日忌</rb><rp>(</rp><rt>ヒイミ</rt><rp>)</rp></ruby>」と云うのがある。例えば何月何日何方へ往けば損をするとか、不治の病に罹るとか云う類である。地方では之を信ずること甚だしく、その日は必ず在宅して謹慎する風がある。この迷信の結果、自分等(寄稿者島畑隆治氏)幼少の時までは、学校さえも欠席したものである。今は日忌の風は次第に薄らいで行くが、巫女に口寄させる風に至っては、まだ減退せぬようである云々。


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