日本巫女史/第三篇/第二章/第三節」を編集中

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ノノウが出発する時の荷物は、大懸りのものであって、夏冬の衣類から一寸した手廻りの道具まで持って往ったものである。土地の伝説によると、ノノウは鑓一筋(千石取りの旗本)の格式を与えられていて、荷物は宿場々々の問屋場に公然と運搬方を依頼する事が出来て、関所も手形なしで(中山曰。巫女にも手形を要したことは[[日本巫女史/第三篇/第一章/第二節|既述]]した)通れると言われていたほどで、往く先々には、毎年の定宿があった。抱主が是等と同行し、指揮し、監督することは、前に記した如くである。而して彼等は毎日のように定宿を出でては、附近の村々に入り込み、依頼を受けて呪術をなし、雨の降る日や、夜などは、定宿を訪ねる依頼者を迎えて、呪術をしたのである。かくて半歳余を渡り鳥のように送り暮して、十一月の末か十二月の初めまでは、各戸とも殆んど言い合せたように故郷の禰津村へ帰って来る。途中で事故があっても、必ず大晦日までには帰村するように習慣づけられていた。
ノノウが出発する時の荷物は、大懸りのものであって、夏冬の衣類から一寸した手廻りの道具まで持って往ったものである。土地の伝説によると、ノノウは鑓一筋(千石取りの旗本)の格式を与えられていて、荷物は宿場々々の問屋場に公然と運搬方を依頼する事が出来て、関所も手形なしで(中山曰。巫女にも手形を要したことは[[日本巫女史/第三篇/第一章/第二節|既述]]した)通れると言われていたほどで、往く先々には、毎年の定宿があった。抱主が是等と同行し、指揮し、監督することは、前に記した如くである。而して彼等は毎日のように定宿を出でては、附近の村々に入り込み、依頼を受けて呪術をなし、雨の降る日や、夜などは、定宿を訪ねる依頼者を迎えて、呪術をしたのである。かくて半歳余を渡り鳥のように送り暮して、十一月の末か十二月の初めまでは、各戸とも殆んど言い合せたように故郷の禰津村へ帰って来る。途中で事故があっても、必ず大晦日までには帰村するように習慣づけられていた。


昔はノノウ連中が帰ると、急に村が裕福になり、金廻りが良くなったものだと、今に語られている。彼等は半年余を到る処で稼ぎ溜め、それぞれ大金を持って帰村し、或る者は村の資産家に預金する者さえあった。帰村の折には、村中の懇意の家々には土産物を贈り、又家に招いて留守中世話になった礼心に馳走するなど、毎年ノノウが帰った当座は、八ヶ嶽の山々は雪を被って寝ているのに、村は春のように陽気になったそうである。そしてノノウ達は、帰村してからは、毎日家にいて神々を祭り、偶には近村へ出かけ、又は来宅する者に呪術を施したが、此の収入も決して尠くはなかったと云われている。
昔はノノウ連中が帰ると、急に村が裕福になり、金廻りが良くなったものだと、今に語られている。彼等は半年余を到る処で稼ぎ溜め、それぞれ大金を持って帰村し、或る者は村の資産家に預金する者さえあった。帰村の折には、村中の懇意の家々には土産物を贈り、又家に招いて留守中世話になった礼心に馳走するなど、毎年ノノウが帰った当座は、八ヶ嶽の山々は雪を被って寝ているのに、村は春のように陽気になったそうである。そしてノノウ達は、帰村してからは、毎日家にいて神々を祭り、偶には近村へ出かけ、又は来宅する者に呪術を施したが、此の収入も決して少くはなかったと云われている。


ノノウの収入は、決して少いものではなかった。旅に出て、一回どの位の礼金を取ったものか、それは正確に知ることは出来ぬけれど、彼女たちの一年間の生活を、優に支えて往けるだけの費用を得たことだけは事実である。従って、彼女達は、村人の生活としては、驚くほど贅沢であって、食う物も、着る物も、山家には見られぬほどのもので、冬中は毎日遊び暮していた。これは旅に出る身とて、<ruby><rb>旅籠飯</rb><rp>(</rp><rt>はたごめし</rt><rp>)</rp></ruby>に馴れて口が驕り、衣服も華美を好むようになったためであろう。
ノノウの収入は、決して少いものではなかった。旅に出て、一回どの位の礼金を取ったものか、それは正確に知ることは出来ぬけれど、彼女たちの一年間の生活を、優に支えて往けるだけの費用を得たことだけは事実である。従って、彼女達は、村人の生活としては、驚くほど贅沢であって、食う物も、着る物も、山家には見られぬほどのもので、冬中は毎日遊び暮していた。これは旅に出る身とて、<ruby><rb>旅籠飯</rb><rp>(</rp><rt>はたごめし</rt><rp>)</rp></ruby>に馴れて口が驕り、衣服も華美を好むようになったためであろう。
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