「日本巫女史/第二篇/第一章/第一節」を編集中

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「大鏡」を読むと、花山帝が脱屐の折に、陰陽道の泰斗安倍晴明が、識神によって、此の事を予知したと載せてある。而して此の識神なるものは、平安朝の文献以外には、余り記録にも現われぬので、従って代々の学者の注意も惹かず、全く閑却されている始末なのである。併しながら、安倍晴明が好んで使役したとあるからは、此の神が私の謂う道教から出ていることだけは知られるのであるが、さて其の正体はというと誠に捕捉することが困難なのである。山岡浚明翁は「類聚名物考」において、
 
「大鏡」を読むと、花山帝が脱屐の折に、陰陽道の泰斗安倍晴明が、識神によって、此の事を予知したと載せてある。而して此の識神なるものは、平安朝の文献以外には、余り記録にも現われぬので、従って代々の学者の注意も惹かず、全く閑却されている始末なのである。併しながら、安倍晴明が好んで使役したとあるからは、此の神が私の謂う道教から出ていることだけは知られるのであるが、さて其の正体はというと誠に捕捉することが困難なのである。山岡浚明翁は「類聚名物考」において、
  
: 式神、これは人の魂魄を術を以て使ふ事なり、陰陽家に伝へし術なり、中古の物に多く見えたり。西土の書にも此の術あり。髑髏神と云ふも是なり。俗に外法とも云へり。「清少納言記」<u>しき</u>の神もおのづから、いとかしこしとて云々。「後漢書<small>六術</small>長房伝」翁曰、幾得道云々。又為作一符曰、以此主地上鬼神云々。鞭笞百鬼、及駆使社公、今案に識神或は式神と書く借字なり、知識は人の情心のとどまる所なり、その魂神を駆使するを識神と云ふなり。「輟耕録」巻十三中書鬼案の条に、人の魂魄神を使ふるを云う所に、我亦会遣使鬼魂、我有収下的生魂売与儞云々とあり。鬼魂は即ち是れ識神の事なり。
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: 式神、これは人の魂魄を術を以て使ふ事なり、陰陽家に伝へし術なり、中古の物に多く見えたり。西土の書にも此の術あり。髑髏神と云ふも是なり。俗に外法とも云へり。「清少納言記」<u>しき</u>の神もおのづから、いとかしこしとて云々。「語漢書<small>六術</small>長房伝」翁曰、幾得道云々。又為作一符曰、以此主地上鬼神云々。鞭笞百鬼、及駆使社公、今案に識神或は式神と書く借字なり、知識は人の情心のとどまる所なり、その魂神を駆使するを識神と云ふなり。「輟耕録」巻一三中書鬼案の条に、人の魂魄神を使ふるを云う所に、我亦会遣使鬼魂、我有収下的生魂売与儞云々とあり。鬼魂は是れ識神の事なり。
  
 
と記し、識神は髑髏神、又は外法と同じもので、陰陽家に伝えられたものだと考証している。而して是れだけ見ると、識神は道教にのみ属するもののように思われるが、更にこれを仏教方面から見ると、益々その正体が紛らしくなって来るのである。
 
と記し、識神は髑髏神、又は外法と同じもので、陰陽家に伝えられたものだと考証している。而して是れだけ見ると、識神は道教にのみ属するもののように思われるが、更にこれを仏教方面から見ると、益々その正体が紛らしくなって来るのである。
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: 東晋三蔵法師仏陀跋陀羅訳、摩訶僧紙律三十一巻に、憍陳如比丘(釈迦の父の家来の子にて、釈迦の後を逐て出家せし五比丘の一也)歿して、四魔天来、欲観其識神不見、已変白鳥而去。文簡にして十分に分らぬが、四人の魔天来り、識神を見んとせしとき、已に白鳥に化して去ったあと故に見えなんだと云うこと(人の魂神鳥に化する信仰、印度外にもあり、日本武尊の御事なども似たり)と存候。只今ここに引ける所の識神は、人の魂と云うことと存候。晴明等の識神は其前後の支那の道家が、此仏家の識神より変じて、作り出せるものながら、死霊を使うと云うようなことで、余り仏家のここに云える所と変らぬことと存候。
 
: 東晋三蔵法師仏陀跋陀羅訳、摩訶僧紙律三十一巻に、憍陳如比丘(釈迦の父の家来の子にて、釈迦の後を逐て出家せし五比丘の一也)歿して、四魔天来、欲観其識神不見、已変白鳥而去。文簡にして十分に分らぬが、四人の魔天来り、識神を見んとせしとき、已に白鳥に化して去ったあと故に見えなんだと云うこと(人の魂神鳥に化する信仰、印度外にもあり、日本武尊の御事なども似たり)と存候。只今ここに引ける所の識神は、人の魂と云うことと存候。晴明等の識神は其前後の支那の道家が、此仏家の識神より変じて、作り出せるものながら、死霊を使うと云うようなことで、余り仏家のここに云える所と変らぬことと存候。
 
: 識神の字、空華集(大日本仏教全書本)にもあり、タマシヒと振仮名せり(以上。明治四十五年四月十二日の条)。
 
: 識神の字、空華集(大日本仏教全書本)にもあり、タマシヒと振仮名せり(以上。明治四十五年四月十二日の条)。
: 識神と云う字、仏教で最も古く正しき出所は、増一阿含所会経と思う(黄蘖板一切経第八十六巻)芹奈三蔵曇摩難提訳十二巻三宝品第二十一にあり云々。此文は父母交会及び父母別居の状態、種々なるにより、子たるべき者の霊が来りて、或は胎に入り、或は胎に入り得ぬことを述べたるなり。識、外識、識神、神識と四様に訳しあれど、皆一と見ゆ。英語の Soul (タマシイ)と云うほどの事なり。故に無論晴明などの使いしと云うものと全く一致せず、タマシイを使うと云う意味から、陰陽家にも用い出せしことと覚ゆ云々(以上。明治四十五年五月廿三日の条)。
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: 識神と云う字、仏教で最も古く正しき出所は、増一阿含所会経と思う(黄蘖板一切経第八十六巻)芹奈三蔵曇摩難提訳十二巻三宝品第二十一にあり云々。此文は父母公会及び父母別居の状態、種々なるにより、子たるべき者の霊が来りて、或は胎に入り、或は胎に入り得ぬことを述べたるなり。識、外識、識神、神識と四様に訳しあれど、皆一と見ゆ。英語の Soul (タマシイ)と云うほどの事なり。故に無論晴明などの使いしと云うものと全く一致せず、タマシイを使うと云う意味から、陰陽家にも用い出せしことと覚ゆ云々(以上。明治四十五年五月廿三日の条)。
  
 
南方氏によれば、識神は仏説に出たものを、支那の道家が作り変えて我国に伝えたものであるという結論になり、且つ髑髏神とは少しく相違しているように考えられるのである。元々、私の学力では奈何ともすることの出来ぬ難問ゆえ、今は識神に関して先覚中にかかる考証があると云うことだけをお取次して置くより外に致し方がないが、その何れにしても、魂魄を神として、——即ち死霊を駆使したとある点が一致しているのであるから、晴明が使ったという識神も、此の意味に解し大過なきものと思う。而して此の識神が巫女に伝えられてから、口寄せと称する呪術が、一段の発展を来たしたのである。猶おそれに就いては後に述べたいと思うている。
 
南方氏によれば、識神は仏説に出たものを、支那の道家が作り変えて我国に伝えたものであるという結論になり、且つ髑髏神とは少しく相違しているように考えられるのである。元々、私の学力では奈何ともすることの出来ぬ難問ゆえ、今は識神に関して先覚中にかかる考証があると云うことだけをお取次して置くより外に致し方がないが、その何れにしても、魂魄を神として、——即ち死霊を駆使したとある点が一致しているのであるから、晴明が使ったという識神も、此の意味に解し大過なきものと思う。而して此の識神が巫女に伝えられてから、口寄せと称する呪術が、一段の発展を来たしたのである。猶おそれに就いては後に述べたいと思うている。

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