「日本巫女史/第二篇/第一章/第一節」を編集中

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私は太だ早速ではあるが、以上の両記事から推して、湯立なる呪術は道教から出たものだと信ずるのである。寛文頃の記録にあるとて、学友星野輝興氏の語るところによれば、宮中の内侍所に仕えたおさい(お斎の意で古い<ruby><rb>御巫</rb><rp>(</rp><rt>ミカンコ</rt><rp>)</rp></ruby>に相当する者)、うねめ(采女でお斎に次ぐ<ruby><rb>巫</rb><rp>(</rp><rt>カンコ</rt><rp>)</rp></ruby>)、とじ(刀自で同じく巫)、めうぶ(命婦で下級の巫)等は、決して湯に入ることなく、必ず水を以て浄めるのを恒とし、若し沐浴することがあっても、掛け湯に限っていて、浴槽に入ることは無い。これは浴槽に入ると、自分の垢で自分を穢すようになり、神に仕える清浄となり得ぬからだと云うことである。此の一事から見るも、我国の原始神道には、湯を用いて身体を浄める思想は無く、従って道教の輸入以前には湯立というが如き神事は存しなかったと考えるのが穏当である。
 
私は太だ早速ではあるが、以上の両記事から推して、湯立なる呪術は道教から出たものだと信ずるのである。寛文頃の記録にあるとて、学友星野輝興氏の語るところによれば、宮中の内侍所に仕えたおさい(お斎の意で古い<ruby><rb>御巫</rb><rp>(</rp><rt>ミカンコ</rt><rp>)</rp></ruby>に相当する者)、うねめ(采女でお斎に次ぐ<ruby><rb>巫</rb><rp>(</rp><rt>カンコ</rt><rp>)</rp></ruby>)、とじ(刀自で同じく巫)、めうぶ(命婦で下級の巫)等は、決して湯に入ることなく、必ず水を以て浄めるのを恒とし、若し沐浴することがあっても、掛け湯に限っていて、浴槽に入ることは無い。これは浴槽に入ると、自分の垢で自分を穢すようになり、神に仕える清浄となり得ぬからだと云うことである。此の一事から見るも、我国の原始神道には、湯を用いて身体を浄める思想は無く、従って道教の輸入以前には湯立というが如き神事は存しなかったと考えるのが穏当である。
  
それにしても、此の湯立の神事が、平安朝以後において、神社及び巫女の間に、盛んに行われたのは事実である。源実朝の「金槐集」に『<ruby><rb>里巫</rb><rp>(</rp><rt>サトミコ</rt><rp>)</rp></ruby>がお湯立笹のそよそよに、なびきおきふしよしや世の中』とあり、「康富記」文安六年九月廿九日の条に『粟田口神明有湯立、参詣拝見』と載せ、「晴富宿禰記」文明十二年二月廿五日の条に『於左女牛若宮有湯立、自公方御沙汰之由風聞』と記し、此の他にも枚挙に遑ないほど諸書に散見している。
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それにしても、此の湯立の神事が、平安朝以後において、神社及び巫女の間に、盛んに行われたのは事実である。源実朝の「金槐集」に『<ruby><rb>里巫</rb><rp>(</rp><rt>サトミコ</rt><rp>)</rp></ruby>がお湯立笹のそよそよに、なびきおきふしよしや世の中』とあり、「康富記」文安六年九月廿九日の条に『粟田口神明有湯立、参詣拝見』と載せ、「晴富宿禰記」文明一二年二月廿五日の条に『於左女牛若宮有湯立、自公方御沙汰之由風聞』と記し、此の他にも枚挙に遑ないほど諸書に散見している。
  
殊に民俗学的に見て、興味の多いのは、出雲国美保神社の一年神主に対する湯立の神事である。同社には正神主横山氏の外に、一年神主とて、氏子中より選定して、一ヶ年間勤める者とある。而して此の神主の選定は、三年前に行うのであるが、先ず九・十両月の間、同町三百余軒の民家のうち、男子十二三歳より老年まで、いづれも美保社の祭神より前後三度の夢の告げがある。その夢が、正神主と、一年神主となる者と同じ(白髪の老人来たりて告げる事あり、又は浄衣烏帽子着たる人の告げもある)であれば、それが一年神主となるのであるが、愈々そう決定すると、その家を煤払いし、塩水で洗い、仏壇は寺へ預け、前後三ヶ年仏事を営まず、更に十二月大晦日の夜から、海辺に出て汐垢離をとり、爾来数日美保社へ参詣して、神主の無事に勤まるよう祈願する。さて三年目の春三月十日は、同社の祭礼とて、その日前年の神主より神役を受取る。これ迄前二年より船着なれば、船中安全のためとて、諸国の回船より米初穂料の金銭を送る。それで三年間の生活費に充てる。此のうち妻に不浄があれば、住宅の裏に<ruby><rb>他屋</rb><rp>(</rp><rt>タヤ</rt><rp>)</rp></ruby>とて離れ家を建ててそれへ置き、清浄の時だけ一所に暮す。かくて祭礼の日になると、大なる湯立の釜に、水八分ほど入れ焚き立て、湯玉のたぎる時に、其の年の新神主を、浄衣白無垢風折烏帽子を着たるままで、その湯釜に入れて煮るのである。介抱は前神主数人で皆々その加減を見て、息絶えたりと思う時に、四五人にて釜より出し、神前の荒菰の上に寝かして置くと、暫らくして生き返るので、今度は神社の拝殿まで舁き出して、幣帛を持たせ皆の者は平伏する。その時、近国から参詣の老若男女大勢群集し、心得たる者は神託を書き留めんと、紙矢立を用意し、待ち構える。一年神主は幣帛を三々九度に振り、それが済むとその一年中の農作の善悪、病気の流行など、一々神の告げとて託宣する。事終るとそのまま臥すが、それを再び荒菰の上に寝かせて置くと、やがて元の如くなり、衣服を着かえて帰宅する。但し何時でも願主あって神託を願えば、右の通り湯立して、一年神主を釜へ入れ、祭礼の如くして託宣する。此の初穂料は文化三年頃には金七両二分であった〔二六〕。
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殊に民俗学的に見て、興味の多いのは、出雲国美保神社の一年神主に対する湯立の神事である。同社には正神主横山氏の外に、一年神主とて、氏子中より選定して、一カ年間勤める者とある。而して此の神主の選定は、三年前に行うのであるが、先ず九・十両月の間、同町三百余軒の民家のうち、男子十二三歳より老年まで、いづれも美保社の祭神より前後三度の夢の告げがある。その夢が、正神主と、一年神主となる者と同じ(白髪の老人来たりて告げる事あり、又は浄衣烏帽子着たる人の告げもある)であれば、それが一年神主となるのであるが、愈々そう決定すると、その家を煤払いし、塩水で洗い、仏壇は寺へ預け、前後三カ年仏事を営まず、更に十二月大晦日の夜から、海辺に出て汐垢離をとり、爾来数日美保社へ参詣して、神主の無事に勤まるよう祈願する。さて三年目の春三月十日は、同社の祭礼とて、その日前年の神主より神役を受取る。これ迄前二年より船着なれば、船中安全のためとて、諸国の回船より米初穂料の金銭を送る。それで三年間の生活費に充てる。此のうち妻に不浄があれば、住宅の裏に<ruby><rb>他屋</rb><rp>(</rp><rt>タヤ</rt><rp>)</rp></ruby>とて離れ家を建ててそれへ置き、清浄の時だけ一所に暮す。かくて祭礼の日になると、大なる湯立の釜に、水八分ほど入れ焚き立て、湯玉のたぎる時に、其の年の新神主を、浄衣白無垢風折烏帽子を着たるままで、その湯釜に入れて煮るのである。介抱は前神主数人で皆々その加減を見て、息絶えたりと思う時に、四五人にて釜より出し、神前の荒菰の上に寝かして置くと、暫らくして生き返るので、今度は神社の拝殿まで舁き出して、幣帛を持たせ皆の者は平伏する。その時、近国から参詣の老若男女大勢群集し、心得たる者は神託を書き留めんと、紙矢立を用意し、待ち構える。一年神主は幣帛を三々九度に振り、それが済むとその一年中の農作の善悪、病気の流行など、一々神の告げとて託宣する。事終るとそのまま臥すが、それを再び荒菰の上に寝かせて置くと、やがて元の如くなり、衣服を着かえて帰宅する。但し何時でも願主あって神託を願えば、右の通り湯立して、一年神主を釜へ入れ、祭礼の如くして託宣する。此の初穂料は文化三年頃には金七両二分であった〔二六〕。
  
 
此の湯立の神事は、修験者が好んで行った所謂「<ruby><rb>護法附</rb><rp>(</rp><rt>ゴホウツキ</rt><rp>)</rp></ruby>」なるもの(此の事は後に述べる)の影響まで受け容れているが、それにしても神を信ずる心の深い者でなければ、奈何にするも行い得ぬ放れ業である。而して湯立の神事から派生したもので、更に一段と簡略化されたものが、京都西七条村で行われた<ruby><rb>蒸</rb><rp>(</rp><rt>ム</rt><rp>)</rp></ruby>し<ruby><rb>講</rb><rp>(</rp><rt>コウ</rt><rp>)</rp></ruby>である。これは此の村の氏神祭りの日に、神前の大釜に湯を立て、村の老女が世話役となり、幼き男女を抱いて釜の上に翳し、湯気にあててやるのであるが、斯うすると疱瘡が軽いと信じられている〔二七〕。巫女が湯を身にかけて神託をなすのも、更に備前の吉備津神社の釜鳴りの神判なども、咸な此の信仰に由来するもので、然もその根本は、実に道教の思想に負うているのである。
 
此の湯立の神事は、修験者が好んで行った所謂「<ruby><rb>護法附</rb><rp>(</rp><rt>ゴホウツキ</rt><rp>)</rp></ruby>」なるもの(此の事は後に述べる)の影響まで受け容れているが、それにしても神を信ずる心の深い者でなければ、奈何にするも行い得ぬ放れ業である。而して湯立の神事から派生したもので、更に一段と簡略化されたものが、京都西七条村で行われた<ruby><rb>蒸</rb><rp>(</rp><rt>ム</rt><rp>)</rp></ruby>し<ruby><rb>講</rb><rp>(</rp><rt>コウ</rt><rp>)</rp></ruby>である。これは此の村の氏神祭りの日に、神前の大釜に湯を立て、村の老女が世話役となり、幼き男女を抱いて釜の上に翳し、湯気にあててやるのであるが、斯うすると疱瘡が軽いと信じられている〔二七〕。巫女が湯を身にかけて神託をなすのも、更に備前の吉備津神社の釜鳴りの神判なども、咸な此の信仰に由来するもので、然もその根本は、実に道教の思想に負うているのである。

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