「日本巫女史/第二篇/第一章/第一節」を編集中
ナビゲーションに移動
検索に移動
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
168行目: | 168行目: | ||
; 〔註二〕 : 昭和三年十月に前後九回に亘り東洋文庫で開催された白鳥庫吉氏の「周囲民族の古伝説より見たる神代の巻」と題する講演で、扶桑木のこと及び日少宮のことを述べられた。 | ; 〔註二〕 : 昭和三年十月に前後九回に亘り東洋文庫で開催された白鳥庫吉氏の「周囲民族の古伝説より見たる神代の巻」と題する講演で、扶桑木のこと及び日少宮のことを述べられた。 | ||
; 〔註三〕 : 「嬉遊笑覧」の附録中に見えている。 | ; 〔註三〕 : 「嬉遊笑覧」の附録中に見えている。 | ||
; 〔註四〕 : | ; 〔註四〕 : 「神武紀」の郊祀霊時の用語は、道教の思想に由来するものであるが、併しこれは、「日本紀」の執筆者が、漢様にかかる文字を用いたまでと見るべきである。 | ||
; 〔註五〕 : 泣き女は、支那にも、朝鮮にも古くから存し、前者は「中華全国風俗志」に、後者は「朝鮮風俗志」に、共に詳記してある。我国にも、琉球、讃岐、加賀、八丈島等には近年まであったが、支那からの輸入と考えている。 | ; 〔註五〕 : 泣き女は、支那にも、朝鮮にも古くから存し、前者は「中華全国風俗志」に、後者は「朝鮮風俗志」に、共に詳記してある。我国にも、琉球、讃岐、加賀、八丈島等には近年まであったが、支那からの輸入と考えている。 | ||
; 〔註六〕 : 「太子伝暦」には、此の時の厭勝のことが、少しく詳しく載せてあるが、今は省略した。 | ; 〔註六〕 : 「太子伝暦」には、此の時の厭勝のことが、少しく詳しく載せてあるが、今は省略した。 | ||
; 〔註七〕 : 「政事要略」巻七〇(史籍集覧本)「蠱毒厭魅及巫覡等事」の条。 | ; 〔註七〕 : 「政事要略」巻七〇(史籍集覧本)「蠱毒厭魅及巫覡等事」の条。 | ||
; 〔註八〕 : 奈良朝及び平安朝には、よく巫蠱の疑獄が起って、貴神大官がこれに連座し、処罰されているが、これには政治的の意味も多分に含まれていて、これを利用し、悪用した政治家も、尠く無かったようである。従って、此の時代に行われた咒術の惨忍さに就いては、注意して見なければならぬ点がある。 | ; 〔註八〕 : 奈良朝及び平安朝には、よく巫蠱の疑獄が起って、貴神大官がこれに連座し、処罰されているが、これには政治的の意味も多分に含まれていて、これを利用し、悪用した政治家も、尠く無かったようである。従って、此の時代に行われた咒術の惨忍さに就いては、注意して見なければならぬ点がある。 | ||
; 〔註九〕 : | ; 〔註九〕 : 「山城谷村史」。私は先年「趣味の友」という雑誌に「呪いの釘」と題して、我国の呪詛伝説に関して、管見を発表したことがある。その切り抜きは大正一二年の震災で焼いてしまい、雑誌の号数は古いことなので失念してしまった。 | ||
; 〔註一〇〕 : シャーマンは太鼓を叩くが、弓の弦はたたかぬ。朝鮮のムーダンも、又たそれである。然るに我国のミコは、弓の弦をたたいて、太鼓は楽人の手に渡してしまった。我国の巫道が、シャーマンと共通しているところがあるにせよ、ここに両者の区別のあることも知らねばならぬ。そして此の弓の故事を有難そうに説くのが、巫女等の常套手段であるが、元より信用の出来ぬことである。江戸期の関東の巫女の取締であった田村家では、神功皇后説を伝えているが、一噱に附すべき妄談であることは、機会があったら[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]に述べたいと思っている。 | ; 〔註一〇〕 : シャーマンは太鼓を叩くが、弓の弦はたたかぬ。朝鮮のムーダンも、又たそれである。然るに我国のミコは、弓の弦をたたいて、太鼓は楽人の手に渡してしまった。我国の巫道が、シャーマンと共通しているところがあるにせよ、ここに両者の区別のあることも知らねばならぬ。そして此の弓の故事を有難そうに説くのが、巫女等の常套手段であるが、元より信用の出来ぬことである。江戸期の関東の巫女の取締であった田村家では、神功皇后説を伝えているが、一噱に附すべき妄談であることは、機会があったら[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]に述べたいと思っている。 | ||
; 〔註一一〕 : 古風土記を読んだ折に、大国主命が、梓弓を折って橋の代りとしたという記事があったように記憶しているので、そのカードを探したが見当たらぬので、そのままとした。 | ; 〔註一一〕 : 古風土記を読んだ折に、大国主命が、梓弓を折って橋の代りとしたという記事があったように記憶しているので、そのカードを探したが見当たらぬので、そのままとした。 |