日本巫女史/第二篇/第三章/第一節」を編集中

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然るに、猶おここに併せ考えて見なければならぬ問題は、琉球における神々の高下ということと<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>との関係である。他の語を以て言えば、神に大小があり、高下があり、更に霊験の著しい神があり、これに反して霊験の余り聞えぬ神もあるが、こうした神々の相違に就いて、<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>が如何なる交渉を有していたかと云うことである。併しながら、問題は割合に簡単に説明の出来ぬことであって、好んで<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>カカ</rt><rp>)</rp></ruby>る神が早く名を知られ、憑った神の託宣が有効であれば、その神の位置が向上し、かくて幾度か同じことが繰り返えされるうちに、何々の神の託宣は常に霊験があるとなれば、その神は他神を圧して名神大社に昇り、圧せられた神は叢祠藪神に降り、神々の世界にも淘汰の理法が行われていたと解して差支ないようである。
然るに、猶おここに併せ考えて見なければならぬ問題は、琉球における神々の高下ということと<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>との関係である。他の語を以て言えば、神に大小があり、高下があり、更に霊験の著しい神があり、これに反して霊験の余り聞えぬ神もあるが、こうした神々の相違に就いて、<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>が如何なる交渉を有していたかと云うことである。併しながら、問題は割合に簡単に説明の出来ぬことであって、好んで<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>カカ</rt><rp>)</rp></ruby>る神が早く名を知られ、憑った神の託宣が有効であれば、その神の位置が向上し、かくて幾度か同じことが繰り返えされるうちに、何々の神の託宣は常に霊験があるとなれば、その神は他神を圧して名神大社に昇り、圧せられた神は叢祠藪神に降り、神々の世界にも淘汰の理法が行われていたと解して差支ないようである。


それでは、斯うした問題は、独り南方の嶋々に限り存したことで、内地の古代にはこれに類似し、又は共通した信仰は無かったかと云うに、此の事たるや、特に筆端を慎しまぬと、意外の誤解を受ける虞れがあるので、流石に無遠慮に物を書くのに馴れている私でも、余り突っ込んだことは差控えなければならぬが、許された範囲内で説を試みると、これと共通した信仰が、我が古代に顕然と存していたことだけは認めねばなるまいと思う。前に引用した「日本書紀」に、神后が親しく神主とならせ給い、烏賊津臣を<ruby><rb>審神</rb><rp>(</rp><rt>サニワ</rt><rp>)</rp></ruby>として神意を承けさせられた折に、審神が、誰神か其名を知らんと問いしに、第一に撞賢木厳之御魂天疎向津姫命と答え、第二に天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神と答え、第三に表筒男中筒男底筒男神に答えられている(詳細[[日本巫女史/第一篇/第七章/第三節|前掲]]の書紀の本文参照)。勿論、これは琉球のそれとは異り、同じ神を他の名で称えているものではないが、それにしても、<ruby><rb>神憑</rb><rp>(</rp><rt>カムガカ</rt><rp>)</rp></ruby>りという事は、必ずしも一神が憑るものではなくして、二神または三神が一時に憑り、審神の問うにつれて、その神々の名を称えるものであるという事だけは、拝察されるのである。
それでは、斯うした問題は、独り南方の嶋々に限り存したことで、内地の古代にはこれに類似し、又は共通した信仰は無かったかと云うに、此の事たるや、特に筆端を慎しまぬと、意外の誤解を受ける虞れがあるので、流石に無遠慮に物を書くのに馴れている私でも、余り突っ込んだことは差控えなければならぬが、許された範囲内で説を試みると、これと共通した信仰が、我が古代に顕然と存していたことだけは認めねばなるまいと思う。前に引用した「日本書紀」に、神后が親しく神主とならせ給い、烏賊津臣を<ruby><rb>審神</rb><rp>(</rp><rt>サニワ</rt><rp>)</rp></ruby>として神意を承けさせられた折に、審神が、誰神か其名を知らんと問いしに、第一に撞賢木厳之御魂天疎向津姫命と答え、第二に天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神と答え、第三に表筒男中筒男底筒男神に答えられている(詳細[[日本巫女史/第一篇/第七章/第三節|前掲]]の書紀の本文参照)。勿論、これは琉球のそれとは事り、同じ神を他の名で称えているものではないが、それにしても、<ruby><rb>神憑</rb><rp>(</rp><rt>カムガカ</rt><rp>)</rp></ruby>りという事は、必ずしも一神が憑るものではなくして、二神または三神が一時に憑り、審神の問うにつれて、その神々の名を称えるものであるという事だけは、拝察されるのである。


然るに、私の寡聞なる、これに類した文献の他にあることを知らぬので、これ以上のことは何も言われぬのであるが、琉球の例を以て古代を推すときは、教養のない巫女の間にあっては、或は一神を他の名で称えたり、或は同じ神を降ろしながら、前の時と後の時と名を異にするようなことが、往々にして在ったのではないかと想像されるのである。「神名帳」にある出雲の神魂伊能知奴志とか、「地神本紀」にある久々紀若室葛根神とか云うのは、或は巫女によって創作された神の名ではあるまいか。而して此の伝統を承けたものか、後世の巫女は隆んに神の名を創作したようだが、誰でも知っている八幡社の出現も、欽明朝に巫女(職業的の者ではないが)に憑りて『我は誉田の八幡丸なり』と神託されたので八幡神の名が起り〔四〕、菅公も村上朝に巫女(同上)に憑りて、天満大自在天神と託宣されたので、天満神の称が起ったなどは〔五〕、その顕著なる例証として挙げることが出来るのである。
然るに、私の寡聞なる、これに類した文献の他にあることを知らぬので、これ以上のことは何も言われぬのであるが、琉球の例を以て古代を推すときは、教養のない巫女の間にあっては、或は一神を他の名で称えたり、或は同じ神を降ろしながら、前の時と後の時と名を異にするようなことが、往々にして在ったのではないかと想像されるのである。「神名帳」にある出雲の神魂伊能知奴志とか、「地神本紀」にある久々紀若室葛根神とか云うのは、或は巫女によって創作された神の名ではあるまいか。而して此の伝統を承けたものか、後世の巫女は隆んに神の名を創作したようだが、誰でも知っている八幡社の出現も、欽明朝に巫女(職業的の者ではないが)に憑りて『我は誉田の八幡丸なり』と神託されたので八幡神の名が起り〔四〕、菅公も村上朝に巫女(同上)に憑りて、天満大自在天神と託宣されたので、天満神の称が起ったなどは〔五〕、その顕著なる例証として挙げることが出来るのである。
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