「日本巫女史/第二篇/第三章/第三節」を編集中

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奈良朝の情熱歌人であった山上憶良が、天平五年三月に記した「沈痾自哀文」の一節に、
 
奈良朝の情熱歌人であった山上憶良が、天平五年三月に記した「沈痾自哀文」の一節に、
  
: 我何罪を犯し此重疾に遭ふ、初めて痾に沈みて已来年月稍久し(中略)。禍の伏する所、祟の隠るる所を知らんと欲し、亀卜の門、巫祝の室、往きて問はざる無し云々。
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: 我何罪を犯し此重疾に遭ふ、初めて痾に沈みて已来年月稍久し(中略)。禍の伏する所、祟の隠るゝ所を知らんと欲し、亀卜の門、巫祝の室、往きて問はざる無し云々。
  
 
と載せてある〔一〕。憶良は渡唐留学までした当時の新知識であって、今で云えば、随分ハイカラであるべき人物であるにも拘らず、猶お病気となれば、巫祝の室に赴かざるを得なかったのは、巫祝の勢力が社会的に重きをなしていたことを物語るものである。更に奈良朝の大政治家であった吉備真備が、子孫のために「私教類聚」三十八則を残し、その三十一において莫用詐巫と題して『凡偽巫覡、莫入私家、巫覡毎来、詐行不絶』と記して(此の全文は後に掲げる)警戒した如き、又以て巫覡が社会的に相当の地歩を占めていたことが推測されるのである。而して私は、是等の巫覡のうち、特に巫女の勢力が中古の社会相に如何に現われていたかに就いて、管見を記すとする。
 
と載せてある〔一〕。憶良は渡唐留学までした当時の新知識であって、今で云えば、随分ハイカラであるべき人物であるにも拘らず、猶お病気となれば、巫祝の室に赴かざるを得なかったのは、巫祝の勢力が社会的に重きをなしていたことを物語るものである。更に奈良朝の大政治家であった吉備真備が、子孫のために「私教類聚」三十八則を残し、その三十一において莫用詐巫と題して『凡偽巫覡、莫入私家、巫覡毎来、詐行不絶』と記して(此の全文は後に掲げる)警戒した如き、又以て巫覡が社会的に相当の地歩を占めていたことが推測されるのである。而して私は、是等の巫覡のうち、特に巫女の勢力が中古の社会相に如何に現われていたかに就いて、管見を記すとする。

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