「日本巫女史/第二篇/第三章/第二節」を編集中
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後世になると、此の御子神を「若宮」と称する様になったが、それでも若宮の名が「延喜式」臨時祭の条に見えている故、此の称も相応に古い事が知られる。然るに中古になると、此の信仰が泯びて了ったので、若宮を有している神社では、これを常識化し、合理化するに種々なる苦心を重ねて、その破綻を防がんと試みている。春日神社の若宮は最も著名な神であるが、これが出現に就いては、「大和志料」巻上に、旧神主千鳥家所蔵の古記録を引用して、 | 後世になると、此の御子神を「若宮」と称する様になったが、それでも若宮の名が「延喜式」臨時祭の条に見えている故、此の称も相応に古い事が知られる。然るに中古になると、此の信仰が泯びて了ったので、若宮を有している神社では、これを常識化し、合理化するに種々なる苦心を重ねて、その破綻を防がんと試みている。春日神社の若宮は最も著名な神であるが、これが出現に就いては、「大和志料」巻上に、旧神主千鳥家所蔵の古記録を引用して、 | ||
: 長保五年三月三日巳時、従第四殿板敷、<ruby><rb>心太</rb><rp>(</rp><rt> | : 長保五年三月三日巳時、従第四殿板敷、<ruby><rb>心太</rb><rp>(</rp><rt>コヽロブト</rt><rp>)</rp></ruby>様ノ物三升許落つ、暫の程ありて従件物中に、五寸許なる<ruby><rb>□</rb><rp>(</rp><rt>欠字</rt><rp>)</rp></ruby>地出、従乾柱下登入同殿内畢(中略)、即時神宮預是忠奉見記也。 | ||
とあるのを典拠として〔三〕、これが若宮の出現であると言っているなどは、詭弁この上なしで寧ろ滑稽に感ずるほどである。石清水八幡宮でも、摂社に水若宮(本宮の東方、若宮殿の南に在る)というのがあるのを、無理に史実に合うように解釈せんとて、これの祭神を菟道稚郎子としているが〔四〕、水若宮とは、常識的にいえば、流産した水子のことであるから、これでは却って史実に遠ざかることになるのである。我国の御子神——及び若宮の出現は、さる廻りくどい解釈をせずとも、古き信仰さえ知れば、容易に合点される問題であると同時に、又かくの如く解釈するのが最も妥当であって、そうで無ければ、東北地方に散在する鹿島神三十余苗裔の御子神の由来や、熊野神の九十九王子の信仰なども、遂に不明となってしまうのである。 | とあるのを典拠として〔三〕、これが若宮の出現であると言っているなどは、詭弁この上なしで寧ろ滑稽に感ずるほどである。石清水八幡宮でも、摂社に水若宮(本宮の東方、若宮殿の南に在る)というのがあるのを、無理に史実に合うように解釈せんとて、これの祭神を菟道稚郎子としているが〔四〕、水若宮とは、常識的にいえば、流産した水子のことであるから、これでは却って史実に遠ざかることになるのである。我国の御子神——及び若宮の出現は、さる廻りくどい解釈をせずとも、古き信仰さえ知れば、容易に合点される問題であると同時に、又かくの如く解釈するのが最も妥当であって、そうで無ければ、東北地方に散在する鹿島神三十余苗裔の御子神の由来や、熊野神の九十九王子の信仰なども、遂に不明となってしまうのである。 |