日本巫女史/第二篇/第三章/第二節」を編集中

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併しながら、既に信仰の対象として祭られている幽界の神々が、顕界にある人間と同じように生殖を営み、御子神を幾柱となく儲けるということは、後世の神祇観から言えば、誠に腑に落ちぬ理窟であるが、これは神というものの内容が、時代によって変遷することを会得すれば、忽ちに釈然する問題なのである。白河法皇の「梁塵秘抄」に『神も昔は人ぞかし』とある如く、原始神道の立場からいえば、神主は直ちに祭神その者であった。古代にあっては、名神大社は云うまでもなく、更に叢祠藪神の末までも、苟くも神主のある以上は、その神主は「<ruby><rb>現神</rb><rp>(</rp><rt>アキツカミ</rt><rp>)</rp></ruby>」としての待遇を受けていたのである。
併しながら、既に信仰の対象として祭られている幽界の神々が、顕界にある人間と同じように生殖を営み、御子神を幾柱となく儲けるということは、後世の神祇観から言えば、誠に腑に落ちぬ理窟であるが、これは神というものの内容が、時代によって変遷することを会得すれば、忽ちに釈然する問題なのである。白河法皇の「梁塵秘抄」に『神も昔は人ぞかし』とある如く、原始神道の立場からいえば、神主は直ちに祭神その者であった。古代にあっては、名神大社は云うまでもなく、更に叢祠藪神の末までも、苟くも神主のある以上は、その神主は「<ruby><rb>現神</rb><rp>(</rp><rt>アキツカミ</rt><rp>)</rp></ruby>」としての待遇を受けていたのである。


[[画像:高級神楽神子.gif|thumb|中世の高級なる神楽神子]]
現今でこそ、神主といえば、神と人との間に介在して、神の意を人に伝え、又は人の請を神に告ぐる職掌のように解されているが、神主は即ち<ruby><rb>神主</rb><rp>(</rp><rt>カンザネ</rt><rp>)</rp></ruby>であって、大昔は此の職掌は専ら巫女が当ったもので、神主は活ける神として、是等巫女の上に臨み、殆んど絶対の神権を有していたのである。既述した諏訪神社の大祝や、出雲の両国造や、大三島神社の神主などが、明治期になるまで、特殊の地位を占めていたのは、此の古俗を遺したものなのである。而して此の現神である神主と、その神主に奉仕した巫女との間に生れた子が即ち御子神なのである。
現今でこそ、神主といえば、神と人との間に介在して、神の意を人に伝え、又は人の請を神に告ぐる職掌のように解されているが、神主は即ち<ruby><rb>神主</rb><rp>(</rp><rt>カンザネ</rt><rp>)</rp></ruby>であって、大昔は此の職掌は専ら巫女が当ったもので、神主は活ける神として、是等巫女の上に臨み、殆んど絶対の神権を有していたのである。既述した諏訪神社の大祝や、出雲の両国造や、大三島神社の神主などが、明治期になるまで、特殊の地位を占めていたのは、此の古俗を遺したものなのである。而して此の現神である神主と、その神主に奉仕した巫女との間に生れた子が即ち御子神なのである。


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