「日本巫女史/第二篇/第三章/第五節」を編集中
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[[画像:美保社.gif|thumb|出雲国美保神社の蒼柴籬神社の行粧(三人目の披衣せるは巫女で古代航海の守護者なり)]] | [[画像:美保社.gif|thumb|出雲国美保神社の蒼柴籬神社の行粧(三人目の披衣せるは巫女で古代航海の守護者なり)]] | ||
古市遊郭が既にかくの如くであるから、上を見倣う下々にあっては、少しく誇張して云えば、名が聞え徳の高いもので、附近に遊郭を有していぬ神社は無いというも、決して過言ではないのである。ここに四五の例を挙げると、京都に近い伏見市の泥町と、深草の撞木町とは、稲荷と藤ノ森の両者のために発達し、「くらはんか船」で有名な牧方及び橋本の両地と男山八幡宮、奈良の木辻と春日社、摂津住吉社と乳守、広田社と神崎、下ノ関の赤間宮と稲荷町、筑前の筥崎宮と博多柳町、讃州金毘羅社と新町、日吉神社と大津の柴屋町、出雲の美保神社と同地の遊里、越後の弥彦神社と寺泊、越前敦賀の気比神宮と六軒町、熱田神宮と宮ノ宿、静岡市の浅間神社と弥勒町、伊豆の三嶋神社と三嶋女郎衆、常陸の鹿島社と潮来の遊郭、武蔵府中の国魂神社と同所の遊女町、信州の諏訪社と高嶋遊郭、陸前の塩釜神社と門前の遊郭などを重なるものとして、殆んど枚挙に遑あらずという多数である。就中、珍重すべきは筑波神社を祭れる筑波山の半腹と、安芸の厳島の孤嶋に遊里の営まれていることである。これ等は神社に参拝するために赴くのか、遊女を買わんがために往くのか、恐らくは信心と道楽とを兼ねていたのであろうが、蓋しその関係は、歴史的にいえば、太古から伝統的に残されていたのである。「梁塵秘抄」に、 | |||
: 住吉四所のお前には 顔よき女体ぞおはします。 | : 住吉四所のお前には 顔よき女体ぞおはします。 |