日本巫女史/第二篇/第二章/第四節」を編集中

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然るに、社会の大勢は、これ等の巫覡の呪術を軽視するようになり、巫覡それ自身の信仰も、漸次堕落して来るようになれば、同気相求むると云うか、同病相憐むと云うか、兎に角に、此の両者が一つになって——夫婦として共同生活を営むようになるのは、先ず当然のこととして認めねばならぬ。而して此の傾向は、近古に至って益々増長を加えて来たのであるが、それ等の実例、及び共同生活の内容等に関しては、[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]に詳しく述べる機会があるので、今は除筆する。
然るに、社会の大勢は、これ等の巫覡の呪術を軽視するようになり、巫覡それ自身の信仰も、漸次堕落して来るようになれば、同気相求むると云うか、同病相憐むと云うか、兎に角に、此の両者が一つになって——夫婦として共同生活を営むようになるのは、先ず当然のこととして認めねばならぬ。而して此の傾向は、近古に至って益々増長を加えて来たのであるが、それ等の実例、及び共同生活の内容等に関しては、[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]に詳しく述べる機会があるので、今は除筆する。


巫女と修験道との呪術的関係に就いては、猶お幾多の問題が残されている。「七十一番職人歌合」に、<ruby><rb>地者</rb><rp>(</rp><rt>ジシャ</rt><rp>)</rp></ruby>と称して男子が女子を装い神事を行う者を載せているが、これは巫覡の習合その頂上に達したものであろうし、巫女が竃払いをしたのもそれであるし、巫女が呪符を用いたのもそれである。併し茲には、大体を記すにとどめて、他は機会のある毎に補足するとした。
巫女と修験道との呪術的関係に就いては、猶お幾多の問題が残されている。「七十一番職人歌合」に、<ruby><rb>地者</rb><rp>(</rp><rt>ジシャ</rt><rp>)</rp></ruby>と称して男子が女子を装い神事を行う者を載せているが、これは巫覡の習合その頂上に達したものであろうし、巫女が竈払いをしたのもそれであるし、巫女が呪符を用いたのもそれである。併し茲には、大体を記すにとどめて、他は機会のある毎に補足するとした。


; 〔註一〕 : 我国の修験者を、仏法の優婆塞に、更に巫女に同じ優婆夷の語を充て、説明する者があるが、これは大へんに相違していると思う。仏法上の用例に従えば、両者は五戒を受けて、近く三宝に仕えるだけの者で、即ち在家の篤信者にしか過ぎぬ。又た我国に於ける清僧が、性の問題に触れて修験者になった幾多の例もあるが、ここにはその研究が目的でないので省略した。
; 〔註一〕 : 我国の修験者を、仏法の優婆塞に、更に巫女に同じ優婆夷の語を充て、説明する者があるが、これは大へんに相違していると思う。仏法上の用例に従えば、両者は五戒を受けて、近く三宝に仕えるだけの者で、即ち在家の篤信者にしか過ぎぬ。又た我国に於ける清僧が、性の問題に触れて修験者になった幾多の例もあるが、ここにはその研究が目的でないので省略した。
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