日本巫女史/第二篇/第五章/第一節」を編集中

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私の郷里である下野国足利郡地方の村々では、私の少年の頃までは、オサキ狐の話をよく耳にしたものである。大昔に、九尾ノ狐が帝都を追われて、那須野に隠れたのを、坂東武士のために狩り出されて、殺生石となったが、その折に尾が方々へ散って狐となり、これを尾先狐と云うのだと故老から聴かされ、又た誰々の家には、その狐が七十五匹戸棚の隅に飼ってある。毎朝、<ruby><rb>飯匙</rb><rp>(</rp><rt>シャモジ</rt><rp>)</rp></ruby>で釜の端を叩くのは、狐に餌を遣る合図だというて、私などが過って此の所作をすると、父母から厳しく叱かられたことを覚えている。かかることで、オサキ狐に憑かれた家の人ほど気の毒なものはないが、それでも私の地方などは、他国に比較すると、まだ気の毒の程度が軽いようである。通婚にも、交際にも、余り忌み嫌われていぬからである。
私の郷里である下野国足利郡地方の村々では、私の少年の頃までは、オサキ狐の話をよく耳にしたものである。大昔に、九尾ノ狐が帝都を追われて、那須野に隠れたのを、坂東武士のために狩り出されて、殺生石となったが、その折に尾が方々へ散って狐となり、これを尾先狐と云うのだと故老から聴かされ、又た誰々の家には、その狐が七十五匹戸棚の隅に飼ってある。毎朝、<ruby><rb>飯匙</rb><rp>(</rp><rt>シャモジ</rt><rp>)</rp></ruby>で釜の端を叩くのは、狐に餌を遣る合図だというて、私などが過って此の所作をすると、父母から厳しく叱かられたことを覚えている。かかることで、オサキ狐に憑かれた家の人ほど気の毒なものはないが、それでも私の地方などは、他国に比較すると、まだ気の毒の程度が軽いようである。通婚にも、交際にも、余り忌み嫌われていぬからである。


これに反して、信州松本平の中央山脈の麓寄りの方から、木曾の谷へかけて、薮原、宮ノ越、福島などの各駅から美濃堺まで、クダ狐の憑いている家が多い。殊に福島駅に近い新開村字大原は、四十戸ばかりの部落であるが、その中に五六戸は『あすこはクダを飼ってる』と昔から言われている家がある。此の評判が立つと、部落からは元より、やや遠い所の者からまでも特別の扱いを受け、『おれの家は腐る方だが、あすこは是れだからな』と、物を掻く手真似をして見せる。腐るとは癩病の血統で、掻くのは狐を意味している。即ち癩病よりもクダ狐を恐れる意味である。従って通婚は此の者同士に限られている。クダ狐持がこうまで嫌われるのは、これに憑かれると、すっかり狐になってしまい『某の死んだのは、おれが締め殺したのだ』或は『某の家の馬の病気は、おれがしたのだ』また『某の家の南瓜はおれが挘ったのだ』というような事を口走る。そしてクダ狐は、元は伏見の稲荷社から受けて来たものだと伝えている〔四〕。
これに反して、信州松本平の中央山脈の麓寄りの方から、木曾の谷へかけて、薮原、宮ノ越、福島などの各駅から美濃堺まで、クダ狐の憑いている家が多い。殊に福島駅に近い新開村字大原は、四十戸ばかりの部落であるが、その中に五六戸は『あすこはクダを飼ってる』と昔から言われている家がある。此の評判が立つと、部落からは元より、やや遠い所の者からまでも特別の扱いを受け、『おれの家は腐る方だが、あすこは是れだからな』と、物を掻く手真似をして見せる。腐るとは癩病の血統で、掻くのは狐を意味している。即ち癩病よりもクダ狐を恐れる意味である。従って通婚は此の者同士に限られている。クダ狐持がこうまで嫌われるのは、これに憑かれると、すっかり狐になってしまい『某の死んだのは、おれが締め殺したのだ』或は『某の家の馬の病気は、おれがしたのだ』また『某の家の南京はおれが挘ったのだ』というような事を口走る。そしてクダ狐は、元は伏見の稲荷社から受けて来たものだと伝えている〔四〕。


出雲のジン狐に関する気の毒な事実は、夥しき迄に学会へ報告されている〔五〕。それは大正十一年の事であるが、出雲の某村の有力者が、息子に嫁を迎えようとしたが、世話をする者がないので、段々と調べてみると、その家はジン狐持ではないが、主人の妹が嫁した家の遠縁の者に、その疑いのあることが判然し、親族会議の結果は、妹の家と絶交することとなり、それを言い渡すときの光景は、見るも憐れなものであった。老母の顔は涙に曇り、言渡す主人の声もふるえていた。絶交された妹は、世の成行きと、自分の運命で、代々続いて来た綺麗な家の血筋を濁すことには代えられぬと、観念の眼を閉じたということである〔六〕。
出雲のジン狐に関する気の毒な事実は、夥しき迄に学会へ報告されている〔五〕。それは大正十一年の事であるが、出雲の某村の有力者が、息子に嫁を迎えようとしたが、世話をする者がないので、段々と調べてみると、その家はジン狐持ではないが、主人の妹が嫁した家の遠縁の者に、その疑いのあることが判然し、親族会議の結果は、妹の家と絶交することとなり、それを言い渡すときの光景は、見るも憐れなものであった。老母の顔は涙に曇り、言渡す主人の声もふるえていた。絶交された妹は、世の成行きと、自分の運命で、代々続いて来た綺麗な家の血筋を濁すことには代えられぬと、観念の眼を閉じたということである〔六〕。
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