日本巫女史/第二篇/第五章/第一節」を編集中

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瀬戸内海に面した備前、備中、安芸、及び讃岐のトウビョウは、以上の記事によって詳細を知ることが出来たが、それでは日本海に面したものは如何に伝えられているかと云うに、これに就いては、「雪窓夜話抄」巻七に「伯州のタウベウ狐の事」と題して、下の如き記事が載せてある。
瀬戸内海に面した備前、備中、安芸、及び讃岐のトウビョウは、以上の記事によって詳細を知ることが出来たが、それでは日本海に面したものは如何に伝えられているかと云うに、これに就いては、「雪窓夜話抄」巻七に「伯州のタウベウ狐の事」と題して、下の如き記事が載せてある。


: 或人曰く、伯州には村々にタウベウを持たる者あり。殊に倉吉あたりに多くありと云へり。国の御法度強く其所の人もタウベウを持つといへば嫌ふ故に、他人に深く隠して云ざるなり。是はタウベウ<small>キツネ</small>と云て、常のキツネとは変りて、別に一種のキツネなり。形はキツネにて常の者よりも、甚だ小さく大さ鼬鼠程あり。是を見たる者は多くあり。其狐に主有て先祖より子孫に伝はりて其家を離れず(中略)。犬神に少も違はず、他の家に往て心の中にほしきと思ふ時には、本人の知らざるに向の人に附て、其物ほしきと口走りて、本人は口外に出さぬ事を他人に披露して却て其人を恥かしむ。或は瞋恨ある人には、本人は心中にて思ふ計りなるに、其人に付って讐をなす事あり(中略)。先年も倉吉に牛疫はやりて多く死せしに、此れを頼みてマジナイせしむれば即座に治す。是に依て大分の米銀をもうけたり。タウベウ持の方より附たる疫病なること、忽ち露顕して追放せられたり。少も犬神と変る事なし。狐の一名を<ruby><rb>専女</rb><rp>(</rp><rt>タウメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云と古き書にも記せり、専女と云べきを誤てタウベウと云へるにやと云たる人もあり、さもありぬべき事ならんか。是も犬神と同じく、其人に飼れては末代まで家を離るる事なし云々(以上「因伯叢書」本)。
: 或人曰く、伯州には村々にタウベウを持たる者あり。殊に倉吉あたりに多くありと云へり。国の御法度強く其所の人もタウベウを持つといへば嫌ふ故に、他人に深く隠して云ざるなり。是はタウベウ<small>キツネ</small>と云て、常のキツネとは変りて、別に一種のキツネなり。形はキツネにて常の者よりも、甚だ小さく大さ鼬鼠程あり。是を見たる者は多くあり。其狐に主有て先祖より子孫に伝はりて其家を離れず(中略)。犬神に少も違はず、他の家に往て心の中にほしきと思ふ時には、本人の知らざるに向の人に附て、其物ほしきと口走りて、本人は口外に出さぬ事を他人に披露して其人を恥かしむ。或は瞋恨ある人には、本人は心中にて思ふ計りなるに、其人に付って讐をなす事あり(中略)。先年も倉吉に牛疫はやりて多く死せしに、此れを頼みてマジナイせしむれば即座に治す。是に依て大分の米銀をもうけたり。タウベウ持の方より附たる疫病なること、忽ち露顕して追放せられたり。少も犬神と変る事なし。狐の一名を<ruby><rb>専女</rb><rp>(</rp><rt>タウメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云と古き書にも記せり、専女と云べきを誤てタウベウと云へるにやと云たる人もあり、さもありぬべき事ならんか。是も犬神と同じく、其人に飼れては末代まで家を離るる事なし云々(以上「因伯叢書」本)。


此の記事は、恐らく享保前後に書かれたものと思うが〔九〕、伯耆にあっては、トウビョウは狐であって、然も此の名称は、狐を<ruby><rb>専女</rb><rp>(</rp><rt>トウメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云える訛語であろうと説いている。そして伯耆は言うまでもなく、因幡、美作、石見等のトウビョウは、今でも概して狐だと云われているが、事に東伯地方では、七十五匹が一群団であって、世間の噂にトウビョウ持の家に往くと、縁側とか板ノ間とかなどで、間々これの足跡を見受けることがあるそうで、こうした家で拭き掃除を怠らぬのは、即ちその足跡を人目に触れさせぬ用心だと言われている〔一〇〕。トウビョウが、蛇であろうが、狐であろうが、所詮は巫覡が糊口の為めに言い出した俗信上の動物であって、大昔から誰あって定かに見極めたという者がないのであるから、私は此の詮索には余り深入りせぬ考えである。
此の記事は、恐らく享保前後に書かれたものと思うが〔九〕、伯耆にあっては、トウビョウは狐であって、然も此の名称は、狐を<ruby><rb>専女</rb><rp>(</rp><rt>トウメ</rt><rp>)</rp></ruby>と云える訛語であろうと説いている。そして伯耆は言うまでもなく、因幡、美作、石見等のトウビョウは、今でも概して狐だと云われているが、事に東伯地方では、七十五匹が一群団であって、世間の噂にトウビョウ持の家に往くと、縁側とか板ノ間とかなどで、間々これの足跡を見受けることがあるそうで、こうした家で拭き掃除を怠らぬのは、即ちその足跡を人目に触れさせぬ用心だと言われている〔一〇〕。トウビョウが、蛇であろうが、狐であろうが、所詮は巫覡が糊口の為めに言い出した俗信上の動物であって、大昔から誰あって定かに見極めたという者がないのであるから、私は此の詮索には余り深入りせぬ考えである。
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