日本巫女史/第二篇/第五章/第一節」を編集中

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而して斯うした社会の圧迫と、家庭の悲劇とは、独り信州や出雲ばかりでなく、狐憑きの俗信の行われているところには、何処にでも存しているのである。元より俗信であり、理由のない事であるから、疾くにも泯びなければならぬのに、今に此の陋習が依然と行われているとは、如何に俗信の力の偉大なるかに驚くのである。
而して斯うした社会の圧迫と、家庭の悲劇とは、独り信州や出雲ばかりでなく、狐憑きの俗信の行われているところには、何処にでも存しているのである。元より俗信であり、理由のない事であるから、疾くにも泯びなければならぬのに、今に此の陋習が依然と行われているとは、如何に俗信の力の偉大なるかに驚くのである。


狐持の家筋が、狐に憑かれた事に原因することは言う迄もないが、その狐を憑けたものが、巫覡であることも、勿論である。「栄花物語」巻七鳥辺野長保三年十二月の条に『かかる程に、女院(円融后東三条院詮子)ものせさせ給て、なやましう思しめしたり、との(藤原道長)御心をまどはして、おぼしめしまどはせ給(中略)、御物のけを四五人かりうつしつつ、おのおの僧どもののしりあへるに、此三条院の<u>すみ</u>の神の<u>たたり</u>と云う事さへいできて、そのけしきいみじうあやにくげなり』とある如く、物の怪を四五人にかりうつすとは、即ち<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>り祈祷であって、此の<ruby><rb>憑座</rb><rp>(</rp><rt>ヨリマシ</rt><rp>)</rp></ruby>の口から、種々なる御託が発せられ、三条院の場合は、<u>すみ</u>の神の祟りという事であったが、これが狐が<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>いているとか、蛇が<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>いているとか云えば、それでその人は、狐つき、蛇つきとなってしまい、心理学上の暗示に支配されて、狐の真似したり、蛇の様子して座敷を這い廻ると云うことになれば、その家は忽ち「持物筋」となり、それが子孫へまで遺伝することになるのであるから、是等の持物筋の発生が、巫覡の憑り祈祷にあることは明白である。これに就いて、本居内遠翁は「賤者考」において、左の如く述べている。
狐持の家筋が、狐に憑かれた事に原因することは言う迄もないが、その狐を憑けたものが、巫覡であることも、勿論である。「栄花物語」巻七鳥辺野長保三年十二月の条に『かかる程に、女院(円融后東三条院詮子)ものせさせ給て、なやましう思しめしたり、との(藤原道長)御心をまどはして、おぼしめしまどはせ給(中略)、御物のけを四五人かりうつしつつ、おのおの僧どもののしりあへるに、此三条院の<u>すみ</u>の神の<u>たたり</u>と云う事さへいできて、そのけしきいみじうあやにくげなり』とある如く、物の怪を四五人にかりうつすとは、即ち<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>ヨ</rt><rp>)</rp></ruby>り祈祷であって、此の<ruby><rb>憑座</rb><rp>(</rp><rt>ヨリマシ</rt><rp>)</rp></ruby>の口から、種々なる御託が発せられ、三条院の場合は、<u>すみ</u>の神の祟りという事であったが、これが狐が<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>いているとか、蛇が<ruby><rb>憑</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>いているとか云えば、それでその人は、狐つき、蛇つきとなってしまい、心理学上の暗示に支配されて、狐の真似したり、蛇の様子して座敷を這い廻ると云うことになれば、その家は忽ち「持物筋」となり、それが子孫へまで遺伝することになるのであるから、是等の持物筋の発生が、巫覡の憑り祈祷にあることは明白である。これに就いて、本居内遠翁は「賎者考」において、左の如く述べている。


: 犬神狐<ruby><rb>役</rb><rp>(</rp><rt>ツカヒ</rt><rp>)</rp></ruby>などいふは、<ruby><rb>唐土</rb><rp>(</rp><rt>モロコシ</rt><rp>)</rp></ruby>の蠱毒の類にて、かの土には金蚕蝦蟇蜈蚣などの毒種と見ゆれど皇国にはきかず、犬神といふ術四国にありときけど(中略)、出雲の狐持といふ家も是と等し、先年領主より命ありて、此種を絶んとて多く刑にも行ひ、追放もせられしかど、猶その余残あるうへに(中略)。又そのさま怪しげに偶々聞ゆる事などあれば、狐つかひならむと云ひはすめれど、それも又別術なるか、事発覚に及ばざれば又弁知しがたき物なり。おのが是まで聞及べるは、神仏に託して奇に人の上を言ひあてて祈などに金銭を貪り(中略)。昔名高かりし真言僧などの行法に奇特とてありし事、又修験加持などして、<u>よりまし</u>とて生霊死霊を人にうつして憤恨を云はせたり。<u>しりゃう</u>の事、前に云ふ打臥しの巫(中山曰。此の巫女の事は既述した)の類、皆此狐役の術なるべし。今も日蓮宗の僧徒の中に、疾病の祈をなし、<u>よりまし</u>を立てて言はする類まま聞ゆ。仏法の行力なくば、その宗の徒はすべてなすべきを、たまさかなるは狐使の別術なる故なり云々(本居全集本)。
: 犬神狐<ruby><rb>役</rb><rp>(</rp><rt>ツカヒ</rt><rp>)</rp></ruby>などいふは、<ruby><rb>唐土</rb><rp>(</rp><rt>モロコシ</rt><rp>)</rp></ruby>の蠱毒の類にて、かの土には金蚕蝦蟇蜈蚣などの毒種と見ゆれど皇国にはきかず、犬神といふ術四国にありときけど(中略)、出雲の狐持といふ家も是と等し、先年領主より命ありて、此種を絶んとて多く刑にも行ひ、追放もせられしかど、猶その余残あるうへに(中略)。又そのさま怪しげに偶々聞ゆる事などあれば、狐つかひならむと云ひはすめれど、それも又別術なるか、事発覚に及ばざれば又弁知しがたき物なり。おのが是まで聞及べるは、神仏に託して奇に人の上を言ひあてて祈などに金銭を貪り(中略)。昔名高かりし真言僧などの行法に奇特とてありし事、又修験加持などして、<u>よりまし</u>とて生霊死霊を人にうつして憤恨を云はせたり。<u>しりゃう</u>の事、前に云ふ打臥しの巫(中山曰。此の巫女の事は既述した)の類、皆此狐役の術なるべし。今も日蓮宗の僧徒の中に、疾病の祈をなし、<u>よりまし</u>を立てて言はする類まま聞ゆ。仏法の行力なくば、その宗の徒はすべてなすべきを、たまさかなるは狐使の別術なる故なり云々(本居全集本)。
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こうして領主が公文書まで発して、犬神の剿絶に配慮しているところから推すと、阿波の国民は、相当に此の問題で苦しめられて居たことが知れる。勿論、領主が斯かる手段を採ったことは、独り阿波だけではなく、柳田国男先生によれば、
こうして領主が公文書まで発して、犬神の剿絶に配慮しているところから推すと、阿波の国民は、相当に此の問題で苦しめられて居たことが知れる。勿論、領主が斯かる手段を採ったことは、独り阿波だけではなく、柳田国男先生によれば、


: 土佐の犬神は「土佐海続編」に最も詳しく、其形は山中に栖むクシヒキネズミに似て尾に節あり、毛は鼠に似たり、乾して持つ者往々にしてありとある。長宗我部氏の治世に犬神を吟味して、死刑に行い家を<ruby><rb>絶</rb><rp>(</rp><rt>たや</rt><rp>)</rp></ruby>したが、其子孫稀に存し、昔は之を賤んで参会言語する者が無かった。其家では<u>口寄</u>などと同じく、狗の首を神に祀っているともあれば、犬神の名称は使う神の形からでは無いのかも知れぬ。又こんな事も書いてある。犬神は伝教大師に伴い帰り、<ruby><rb>弦売僧</rb><rp>(</rp><rt>ツルメソ</rt><rp>)</rp></ruby>に附属する神なり、サイトウ、オオサキ、クダとも謂う。土州にて捕えたるはサイトウと云う者なり云々。
: 土佐の犬神は「土佐海続編」に最も詳しく、其形は山中に栖むクシヒキネズミに似て尾に節あり、毛は鼠に似たり、乾して持つ者往々にしてありとある。長宗我部氏の治世に犬神を吟味して、死刑に行い家を<ruby><rb>絶</rb><rp>(</rp><rt>たや</rt><rp>)</rp></ruby>したが、其子孫稀に存し、昔は之を賎んで参会言語する者が無かった。其家では<u>口寄</u>などと同じく、狗の首を神に祀っているともあれば、犬神の名称は使う神の形からでは無いのかも知れぬ。又こんな事も書いてある。犬神は伝教大師に伴い帰り、<ruby><rb>弦売僧</rb><rp>(</rp><rt>ツルメソ</rt><rp>)</rp></ruby>に附属する神なり、サイトウ、オオサキ、クダとも謂う。土州にて捕えたるはサイトウと云う者なり云々。


とあるのを見ると〔一一〕、土佐の犬神の跳梁も、又頗る猛烈であったようである。更に前掲の「土州淵岳志」の続きの記事に、
とあるのを見ると〔一一〕、土佐の犬神の跳梁も、又頗る猛烈であったようである。更に前掲の「土州淵岳志」の続きの記事に、
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