「日本巫女史/第二篇/第五章/第三節」を編集中

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'''二 各地に存した七難の揃毛'''
 
'''二 各地に存した七難の揃毛'''
  
七難の<ruby><rb>揃毛</rb><rp>(</rp><rt>ソソゲ</rt><rp>)</rp></ruby>の文献に現われたのは、「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年十月十九日(七月十三日に万寿と改元)に、入道前大相国{○藤原/道長}が、紀州高野山の金剛峯寺へ参詣した帰路に、奈良七大官寺の一なりし元興寺に立寄り『開宝倉令覧、中有此和子陰毛{宛如蔓不/知其尺寸}云々』とあるのが、それである。勿論、これには七難の揃毛とは明記してないが、此の和子の陰毛が宛も蔓の如く、その尺寸の知れぬほど長いものであったということは、他の多くの類例から推して、明確に知り得られるのである。
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七難の<ruby><rb>揃毛</rb><rp>(</rp><rt>ソソゲ</rt><rp>)</rp></ruby>の文献に現われたのは、「扶桑略記」巻二十八が初見のようである。即ち治安三年十月十九日(此月十三日に万寿と改元)に、入道前大相国{○藤原/道長}が、紀州高野山の金剛峯寺へ参詣した帰路に、奈良七大官寺の一なりし元興寺に立寄り『開宝倉令覧、中有此和子陰毛{宛如蔓不/知其尺寸}云々』とあるのが、それである。勿論、これには七難の揃毛とは明記してないが、此の和子の陰毛が宛も蔓の如く、その尺寸の知れぬほど長いものであったということは、他の多くの類例から推して、明確に知り得られるのである。
  
 
而して私は、茲にこれが類例を挙げるとするが、先ず東京市の近くから筆を起すと、北千住町の少し先きの、武蔵国北足立郡谷塚村大字新里に、毛長明神というがあった。昔は長い毛を箱に納めて神体としていたが、いつ頃の別当か、不浄の毛を神体とするは非礼だといって、出水の折に、毛長沼に流してしまった。此の毛長明神の鳥居と相対せる、南足立郡舎人村大字舎人には、玄根を祀った社があったが、今では取払われて無くなってしまった〔一六〕。下総国豊田郡石下村の東弘寺の什物に、七難の揃毛というがある。色は五彩(五色の陰毛とは注意すべきことで、後出の記事を参照されたい)長さ四丈有余、何者の毛か判然しない。伝に、往古七難と称する異婦があって、この者の陰毛だと云っている〔一七〕。これに就いては、「甲子夜話」巻三十に僧無住の「雑談集」を引用して、『俗に往昔の霊婦の陰毛なり』と載せている。今、私の手許に雑談集が無いので、参照することが出来ぬが、若し此の記事に誤りがないとすれば、僧無住は、梶原景時の末裔で、嘉禄年中の出生であるから、此の揃毛は鎌倉期にはあったものとして差支ないようである。
 
而して私は、茲にこれが類例を挙げるとするが、先ず東京市の近くから筆を起すと、北千住町の少し先きの、武蔵国北足立郡谷塚村大字新里に、毛長明神というがあった。昔は長い毛を箱に納めて神体としていたが、いつ頃の別当か、不浄の毛を神体とするは非礼だといって、出水の折に、毛長沼に流してしまった。此の毛長明神の鳥居と相対せる、南足立郡舎人村大字舎人には、玄根を祀った社があったが、今では取払われて無くなってしまった〔一六〕。下総国豊田郡石下村の東弘寺の什物に、七難の揃毛というがある。色は五彩(五色の陰毛とは注意すべきことで、後出の記事を参照されたい)長さ四丈有余、何者の毛か判然しない。伝に、往古七難と称する異婦があって、この者の陰毛だと云っている〔一七〕。これに就いては、「甲子夜話」巻三十に僧無住の「雑談集」を引用して、『俗に往昔の霊婦の陰毛なり』と載せている。今、私の手許に雑談集が無いので、参照することが出来ぬが、若し此の記事に誤りがないとすれば、僧無住は、梶原景時の末裔で、嘉禄年中の出生であるから、此の揃毛は鎌倉期にはあったものとして差支ないようである。

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