「日本巫女史/第二篇/第五章/第二節」を編集中
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'''五 オシラ神は呪神で無い''' | '''五 オシラ神は呪神で無い''' | ||
斯う考えて来ると、オシラ神は、その始めは巫女が行う所の呪力を授ける神ではなくして、恰も<ruby><rb>傀儡女</rb><rp>(</rp><rt> | 斯う考えて来ると、オシラ神は、その始めは巫女が行う所の呪力を授ける神ではなくして、恰も<ruby><rb>傀儡女</rb><rp>(</rp><rt>ツグツメ</rt><rp>)</rp></ruby>の持てる木偶、遊女の信仰した百太夫の<ruby><rb>形代</rb><rp>(</rp><rt>カタシロ</rt><rp>)</rp></ruby>の如きものであったと見るべきである。殊に現在でも、此の神を持っている<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>イタコ</rt><rp>)</rp></ruby>が呪術を行う時とは、昔の守袋に似た円筒形の筒と、イラタカの珠数とを大切に取扱い、オシラ神はただ舞わせるだけだと云う事からも、その間の事情を察知し得るのである。折口信夫氏は、[[日本巫女史/第二篇/第四章/第一節|既記]]の如く、オシラ神は熊野明神の<ruby><rb>使令</rb><rp>(</rp><rt>ツカワシメ</rt><rp>)</rp></ruby>だと云われているが、私の信ずる所では、我国の用例として、動物以外に<ruby><rb>使令</rb><rp>(</rp><rt>ツカワシメ</rt><rp>)</rp></ruby>の意義を有たせたもののある事を発見せぬので、これを直ちに使令と見る説に賛成しかねるのである。折口氏は、抽象的の仮定で推論する天才であるが、動物以外の使令の類例を示してくれぬ以上は、氏の説は困難だと信ずるのである。猶おオシラ神の舞わせ方、その折に唱える祭文の如きは、[[日本巫女史/第三篇|第三篇]]に述べる考えであるから、これとそれと参照されん事を希望する。 | ||
; 〔註一〕 : 「遠野物語」は、柳田国男先生が、遠野町に近き陸中国上閉伊郡土淵村大字山口生れの佐々木吉善(当時は繁と云った)の話を記されたもので、我国の民俗学上には意義の深い著述である。 | ; 〔註一〕 : 「遠野物語」は、柳田国男先生が、遠野町に近き陸中国上閉伊郡土淵村大字山口生れの佐々木吉善(当時は繁と云った)の話を記されたもので、我国の民俗学上には意義の深い著述である。 |