日本巫女史/第二篇/第五章/第四節

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日本巫女史

第二篇 習合呪法時代

第五章 呪術方面に現われた巫道の新義

第四節 巫女の間に用いられた隠語[編集]

巫女が呪術の際に用いた隠語は、その時代により、更にその流派(又は師承)により、必ずや異ったものが存したように想われるけれども、遺憾ながら、詳しいことは、寡見に入らぬ。誰でも知っている「東海道膝栗毛」日坂の条で、巫女の母子が口寄せした折に、夫の事を唐の鏡と云い、妻の事を相の枕と云ったとある程度のもので、誠に自分ながら慚愧に堪えぬ次第であるが、今のところ奈何ともする事が出来ぬので、知り得たところを記して、敢て後人の集成に俟つとする。

    南総珍(房総志料叢書本)市子の隠語の条
タカラ(子供) 弓取(夫) 相ノ枕(妻) ヘラトリ(男) 松ノ露(孫) 瓜の蔓(兄弟) 唐ノ鏡(世間) 舞台(身代) 烏帽子宝(惣領)
    登米郡史(宮城県)巻上、方言の条
唐ノ鏡(妻) 相ノ枕(夫婦) ヘラトリ(主婦) ヰクラダイショウ(主人) ヰクラナラビ(隣家)
    鈴木久治氏談(秋田県仙北郡長信田村出身)巫女の隠語
相の枕(夫婦) 弓取(男) ヘラトリ(女) 居家を踏まへる弓取(相続人の男子) 又や続きの弓取(家の次男) 一の親類(本家) ふるさと(嫁聟の生家) こひしき(縁談) やくし(医者) 宝弓取(寄せられた仏の子の男) 宝へら取(同上の女子) 宝同然の弓取(同年輩の他人の男子) 宝同然のへら取(同上の女子) 親神の弓取(父親) 親神のへら取(母親)

元より秘密にしている巫女の隠語であるから、明確に総てを知ろうとするのは無理なことであって、此の乏しき例に就いて見るも、既に二三の相違があり、殊に「南総珍」に載せたヘラトリを男とした如きは、全く誤りであることが知られるのである。

而して斯くの如き巫女の隠語が、何時頃に定められたものか、これも明確には知ることの出来ぬ問題ではあるが、曾て南方熊楠氏が、私に語った所によると、『巫女の隠語中に、弓取、烏帽子、鏡などの語のあるところより推して考えるに、是等の物が家の体面上、又は身の装飾上に必要欠くべからざる時代に出来たものと見て差支なかるべく、それは概ね鎌倉中葉以降と見るべきである』との事であった。私は別に異説がないので、茲に南方氏の意見を取次ぐだけにする。