日本巫女史/第二篇/第六章/第一節」を編集中

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: 白河院御時、御両所市阿波ト云御子を召、御<ruby><rb>□</rb><rp>(</rp><rt>紙魚不明</rt><rp>)</rp></ruby>云事ハ何様ナル事アラント、銀ノ壺ニ乳ヲ入テ、此ヲ亦物ニ入ツ、蓋ヲシテ、帝ト后トノ二人御心ニテ、亦人ニ不知之、サテ此中ナル物ヲ占ヘト、御子ノ前ニ差出ケレバ、<ruby><rb>度</rb><rp>(</rp><rt>シバラク</rt><rp>)</rp></ruby>計跟蹡ナル歌占ニ、「シロカネノツホヲナラヘテ水ヲ入ハ、フタシテカタク見ルヘクモナシ」ト、□出、御涙ヲ流給テ□勇事哉ト思食サレタリケリ、□銀共ヲ賜ハリケリ(宮内省図書寮本)。
: 白河院御時、御両所市阿波ト云御子を召、御<ruby><rb>□</rb><rp>(</rp><rt>紙魚不明</rt><rp>)</rp></ruby>云事ハ何様ナル事アラント、銀ノ壺ニ乳ヲ入テ、此ヲ亦物ニ入ツ、蓋ヲシテ、帝ト后トノ二人御心ニテ、亦人ニ不知之、サテ此中ナル物ヲ占ヘト、御子ノ前ニ差出ケレバ、<ruby><rb>度</rb><rp>(</rp><rt>シバラク</rt><rp>)</rp></ruby>計跟蹡ナル歌占ニ、「シロカネノツホヲナラヘテ水ヲ入ハ、フタシテカタク見ルヘクモナシ」ト、□出、御涙ヲ流給テ□勇事哉ト思食サレタリケリ、□銀共ヲ賜ハリケリ(宮内省図書寮本)。


斯く巫女が、託宣を歌謡の形式を以て表現するようになったのは、巫女の伝統的因襲の外に、歌謡の流行したことを併せ考えなければならぬ。私は曾て自ら揣らず「我国の神詠の考察」と題する剪劣なる管見を発表したことがあるが〔三〕、代々の勅撰歌集を読んで見て、平安朝以降において、神々の詠歌と称するものの遽かに増加した事は、注意すべき点である。熱田、賀茂、住吉、<ruby><rb>大神</rb><rp>(</rp><rt>ミワ</rt><rp>)</rp></ruby>の各神を始めとして、神託の形式を殆んど和歌に仮りているのである。而して此の流行?は、仏教方面にも取り入れられて、又た盛んにこれが利用されているのである〔四〕。勿論、私は是等の神詠なるものが、巫女によって仮作されたものであるなどとは、夢にも考えていぬ所であるが、斯うした和歌流行の世相は、巫女を駆って歌人的素養を深からしめた事だけは言い得るものと信じている。更に一口に、巫女と云っても、その中には自から階級があり、名神大社に仕える者と、叢祠藪神に仕える者との間に、出自、品性、素養の相違あることは言う迄もないから、高級者にあっては、短歌や、今様ぐらいは、平生の嗜みとしても、作り得らるるだけの用意はあったろうが、それにしても巫女をして詩人たらしめる世相の存したことは看取される。
漸く巫女が、託宣を歌謡の形式を以て表現するようになったのは、巫女の伝統的因襲の外に、歌謡の流行したことを併せ考えなければならぬ。私は曾て自ら揣らず「我国の神詠の考察」と題する剪劣なる管見を発表したことがあるが〔三〕、代々の勅撰歌集を読んで見て、平安朝以降において、神々の詠歌と称するものの遽かに増加した事は、注意すべき点である。熱田、賀茂、住吉、<ruby><rb>大神</rb><rp>(</rp><rt>ミワ</rt><rp>)</rp></ruby>の各神を始めとして、神託の形式を殆んど和歌に仮りているのである。而して此の流行?は、仏教方面にも取り入れられて、又た盛んにこれが利用されているのである〔四〕。勿論、私は是等の神詠なるものが、巫女によって仮作されたものであるなどとは、夢にも考えていぬ所であるが、斯うした和歌流行の世相は、巫女を駆って歌人的素養を深からしめた事だけは言い得るものと信じている。更に一口に、巫女と云っても、その中には自から階級があり、名神大社に仕える者と、叢祠藪神に仕える者との間に、出自、品性、素養の相違あることは言う迄もないから、高級者にあっては、短歌や、今様ぐらいは、平生の嗜みとしても、作り得らるるだけの用意はあったろうが、それにしても巫女をして詩人たらしめる世相の存したことは看取される。


然るに、此の託宣を歌謡を以てすることが、固定するようになれば、その歌謡を以て直ちに神意を占うことに利用されるに至った。換言すれば、曾て巫女によって制作された歌謡、又は神詠と称する歌謡、若しくはその他の歌謡の或る数を限り、此のうちの何れかを取り当てたもの(即ち後世の御籤に似たもの)に由って、吉凶を判ずるという信仰を生むようになった。「長秋記」長承二年七月六日の条に、
然るに、此の託宣を歌謡を以てすることが、固定するようになれば、その歌謡を以て直ちに神意を占うことに利用されるに至った。換言すれば、曾て巫女によって制作された歌謡、又は神詠と称する歌謡、若しくはその他の歌謡の或る数を限り、此のうちの何れかを取り当てたもの(即ち後世の御籤に似たもの)に由って、吉凶を判ずるという信仰を生むようになった。「長秋記」長承二年七月六日の条に、
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: 年を経て花のかがみとなる水は、ちりかかるをや曇るといふらむ(同上。古今集)。
: 年を経て花のかがみとなる水は、ちりかかるをや曇るといふらむ(同上。古今集)。
: 末の露もとのしつくや世の中の、おくれさきたつためしなるらむ(同上。新古今集)。
: 末の露もとのしつくや世の中の、おくれさきたつためしなるらむ(同上。新古今集)。
: ものの名も所によりてかはりけり、なにはの芦は伊勢のははまをき(同上。蒐玖波集)。
: ものの名も所によりてかはりけり、なにはの芦は伊勢のはあまをき(同上。蒐玖波集)。
: 鶯のかひこの中のほととぎす、しゃが父に似てしゃが父に似ず(同上。万葉集長歌の一節)。
: 鶯のかひこの中のほととぎす、しゃが父に似てしゃが父に似ず(同上。万葉集長歌の一節)。
: 千早振るよろづの神も聞しめせ、五十鈴の川の清き水音(同上。出所不明)。
: 千早振るよろづの神も聞しめせ、五十鈴の川の清き水音(同上。出所不明)。
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巫女の工夫した神体としての木偶を、巫女の手から奪って、木偶を舞わせることを独立的に発達させ、傍ら売笑を兼ねた者が、即ち<ruby><rb>傀儡女</rb><rp>(</rp><rt>クグツメ</rt><rp>)</rp></ruby>である。従って古代に遡り、源流を究むるほど、巫女と傀儡女との境界は朦朧として、一身か異体か、全く区別する事の出来ぬほどの親密さを有しているのである。前述の東北地方の一部で、今に巫女を傀儡と称しているのは、よく古俗を残したものであって、又その親密さを、よく明らめているのである。藤原明衡の「新猿楽記」の左の一節の如きは、明白に此の間の消息を伝えているのである。
巫女の工夫した神体としての木偶を、巫女の手から奪って、木偶を舞わせることを独立的に発達させ、傍ら売笑を兼ねた者が、即ち<ruby><rb>傀儡女</rb><rp>(</rp><rt>クグツメ</rt><rp>)</rp></ruby>である。従って古代に遡り、源流を究むるほど、巫女と傀儡女との境界は朦朧として、一身か異体か、全く区別する事の出来ぬほどの親密さを有しているのである。前述の東北地方の一部で、今に巫女を傀儡と称しているのは、よく古俗を残したものであって、又その親密さを、よく明らめているのである。藤原明衡の「新猿楽記」の左の一節の如きは、明白に此の間の消息を伝えているのである。


: 四ノ御許者覡女也。卜占、神遊、<ruby><rb>寄弦</rb><rp>(</rp><rt>ヨリツル</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>クチヨセ</rt><rp>)</rp></ruby>之上手也。舞袖瓢トテ颻如仙人ノ遊。歌声和雅ニテ如頻鳥ノ鳴。非調子ノ琴ノ音。而天神地祇垂影向。無拍子ノ皷ノ声。而<ruby><rb>□□</rb><rp>(</rp><rt>紙魚不明</rt><rp>)</rp></ruby>野干必傾耳。仍天下ノ男女継テ踵来。遠近ノ貴賤為市挙ル。<ruby><rb>熊米</rb><rp>(</rp><rt>クマシネ</rt><rp>)</rp></ruby>積テ無所納。幣紙集不遑数。尋レハ其夫則右馬寮史生。七条已南ノ保長也。姓ハ<ruby><rb>金集</rb><rp>(</rp><rt>カナツメ</rt><rp>)</rp></ruby>。名百成。鍛冶鋳物師〔七〕。并銀金ノ細工也云々。(以上。群書類従本)。
: 四ノ御許者覡女也。卜占、神遊、<ruby><rb>寄弦</rb><rp>(</rp><rt>ヨリツル</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>クチヨセ</rt><rp>)</rp></ruby>之上手也。舞袖瓢トテ颻如仙人ノ遊。歌声和雅ニテ如頻鳥ノ鳴。非調子ノ琴ノ音。而天神地祇垂影向。無拍子ノ皷ノ声。而<ruby><rb>□□</rb><rp>(</rp><rt>紙魚不明</rt><rp>)</rp></ruby>野干必傾耳。仍天下ノ男女継テ踵来。遠近ノ貴賎為市挙ル。<ruby><rb>熊米</rb><rp>(</rp><rt>クマシネ</rt><rp>)</rp></ruby>積テ無所納。幣紙集不遑数。尋レハ其夫則右馬寮史生。七条已南ノ保長也。姓ハ<ruby><rb>金集</rb><rp>(</rp><rt>カナツメ</rt><rp>)</rp></ruby>。名百成。鍛冶鋳物師〔七〕。并銀金ノ細工也云々。(以上。群書類従本)。


同書は、人も知る如く、藤明衡が、当時(平安期の中葉)西京の猿楽師右衛門尉一家の、三妻、十六女、九男に託して、世相の一端を記したものであるから、直ちにその悉くが事実なりとは断ぜられぬけれども、内容は明衡が耳聞目堵したしたものと思われるので、大体において信用することが出来るようである。而して此の記事に由れば、卜占、神遊、寄弦、口寄等の呪術を行うに際し、舞袖は仙人の遊びの如く、歌声は頻鳥の鳴くに似て、琴の音は神祇を影向させ、皷の声は野干の耳を傾けさせるとは、かなり形容が誇張に過ぎているようではあるが、殆んど巫女か、舞伎か、更に傀儡女であるか、寔にその識別に苦しむほどのものが存するのである。試みに、下に大江匡房の「傀儡子記」の一節を抄録して、如何に両者の内的生活が近似していたかを証示する。
同書は、人も知る如く、藤明衡が、当時(平安期の中葉)西京の猿楽師右衛門尉一家の、三妻、十六女、九男に託して、世相の一端を記したものであるから、直ちにその悉くが事実なりとは断ぜられぬけれども、内容は明衡が耳聞目堵したしたものと思われるので、大体において信用することが出来るようである。而して此の記事に由れば、卜占、神遊、寄弦、口寄等の呪術を行うに際し、舞袖は仙人の遊びの如く、歌声は頻鳥の鳴くに似て、琴の音は神祇を影向させ、皷の声は野干の耳を傾けさせるとは、かなり形容が誇張に過ぎているようではあるが、殆んど巫女か、舞伎か、更に傀儡女であるか、寔にその識別に苦しむほどのものが存するのである。試みに、下に大江匡房の「傀儡子記」の一節を抄録して、如何に両者の内的生活が近似していたかを証示する。
58行目: 58行目:
此の信仰と神事とは、国初期から奈良朝までは厳存していたのであるが、奈良朝の中頃からは、神々の正体が知られて来ると同時に、漸く衰え始めて〔一〇〕、此の寿詞の言い立てをする一種の営業者ともいうべきものが生れるようになった。これが「万葉集」に見えている「<ruby><rb>乞食者</rb><rp>(</rp><rt>ホカイビト</rt><rp>)</rp></ruby>」であって、彼等は年の始めの吉慶に、家屋の新築の棟祝いに、更に旅行の無事を祈る餞別、或は災危を払う呪願などを、当時の美辞麗句で綴りあげて、それを<ruby><rb>旋律的</rb><rp>(</rp><rt>リズミカル</rt><rp>)</rp></ruby>の調子で歌い歩いて、世過ぎの料とした〔一一〕。後世の、千秋万歳、ものよし、大黒舞などは、悉く此の賓神と祝言人との系統に属しているのである。
此の信仰と神事とは、国初期から奈良朝までは厳存していたのであるが、奈良朝の中頃からは、神々の正体が知られて来ると同時に、漸く衰え始めて〔一〇〕、此の寿詞の言い立てをする一種の営業者ともいうべきものが生れるようになった。これが「万葉集」に見えている「<ruby><rb>乞食者</rb><rp>(</rp><rt>ホカイビト</rt><rp>)</rp></ruby>」であって、彼等は年の始めの吉慶に、家屋の新築の棟祝いに、更に旅行の無事を祈る餞別、或は災危を払う呪願などを、当時の美辞麗句で綴りあげて、それを<ruby><rb>旋律的</rb><rp>(</rp><rt>リズミカル</rt><rp>)</rp></ruby>の調子で歌い歩いて、世過ぎの料とした〔一一〕。後世の、千秋万歳、ものよし、大黒舞などは、悉く此の賓神と祝言人との系統に属しているのである。


古く我国の巫女が、好んで鼓を携えていたのは、此の寿詞を唱える折に必要であったためである。鈴も、琴も、鼓も、その古き用法の意味は、神の御声としての象徴であった。曾て鳥居龍蔵氏から承った所によると、我国のツヅミという語は、ウラルアルタイの語系に属し、蒙古、満洲、朝鮮、我国とも、同語原であるとの事である〔一二〕。そうすれば、鼓はシャマニズムと共に北方から輸入されたものであって、巫女の神を降ろすに欠くことの出来ぬ楽器であったとも考えられる。「梁塵秘抄」には、巫女と鼓との関係を詠じたものが尠からず載せてある。
古く我国の巫女が、好んで鼓を携えていたのは、此の寿詞を唱える折に必要であったためである。鈴も、琴も、鼓も、その古き用法の意味は、神の御声としての象徴であった。曾て鳥居龍蔵氏から承った所によると、我国のツヅミという語は、ウラルアルタイの語系に属し、蒙古、満洲、朝鮮、我国とも、同語原であるとの事である〔一二〕。そうすれば、鼓はシャマニズムと共に北方から輸入されたものであって、巫女の神を降ろすに欠くことの出来ぬ楽器であったとも考えられる。「梁塵秘抄」には、巫女と鼓との関係を詠じたものが少からず載せてある。


: <ruby><rb>金峰山</rb><rp>(</rp><rt>カネノミタケ</rt><rp>)</rp></ruby>にある<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の打つ鼓。打ち上げ打ち下げ面白や。我等も参らばや。ていとんとうとも響き鳴れ。如何に打てばか此の音の。絶えせざるらん。
: <ruby><rb>金峰山</rb><rp>(</rp><rt>カネノミタケ</rt><rp>)</rp></ruby>にある<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の打つ鼓。打ち上げ打ち下げ面白や。我等も参らばや。ていとんとうとも響き鳴れ。如何に打てばか此の音の。絶えせざるらん。
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