日本巫女史/第二篇/第六章/第一節」を編集中

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巫女の工夫した神体としての木偶を、巫女の手から奪って、木偶を舞わせることを独立的に発達させ、傍ら売笑を兼ねた者が、即ち<ruby><rb>傀儡女</rb><rp>(</rp><rt>クグツメ</rt><rp>)</rp></ruby>である。従って古代に遡り、源流を究むるほど、巫女と傀儡女との境界は朦朧として、一身か異体か、全く区別する事の出来ぬほどの親密さを有しているのである。前述の東北地方の一部で、今に巫女を傀儡と称しているのは、よく古俗を残したものであって、又その親密さを、よく明らめているのである。藤原明衡の「新猿楽記」の左の一節の如きは、明白に此の間の消息を伝えているのである。
巫女の工夫した神体としての木偶を、巫女の手から奪って、木偶を舞わせることを独立的に発達させ、傍ら売笑を兼ねた者が、即ち<ruby><rb>傀儡女</rb><rp>(</rp><rt>クグツメ</rt><rp>)</rp></ruby>である。従って古代に遡り、源流を究むるほど、巫女と傀儡女との境界は朦朧として、一身か異体か、全く区別する事の出来ぬほどの親密さを有しているのである。前述の東北地方の一部で、今に巫女を傀儡と称しているのは、よく古俗を残したものであって、又その親密さを、よく明らめているのである。藤原明衡の「新猿楽記」の左の一節の如きは、明白に此の間の消息を伝えているのである。


: 四ノ御許者覡女也。卜占、神遊、<ruby><rb>寄弦</rb><rp>(</rp><rt>ヨリツル</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>クチヨセ</rt><rp>)</rp></ruby>之上手也。舞袖瓢トテ颻如仙人ノ遊。歌声和雅ニテ如頻鳥ノ鳴。非調子ノ琴ノ音。而天神地祇垂影向。無拍子ノ皷ノ声。而<ruby><rb>□□</rb><rp>(</rp><rt>紙魚不明</rt><rp>)</rp></ruby>野干必傾耳。仍天下ノ男女継テ踵来。遠近ノ貴賤為市挙ル。<ruby><rb>熊米</rb><rp>(</rp><rt>クマシネ</rt><rp>)</rp></ruby>積テ無所納。幣紙集不遑数。尋レハ其夫則右馬寮史生。七条已南ノ保長也。姓ハ<ruby><rb>金集</rb><rp>(</rp><rt>カナツメ</rt><rp>)</rp></ruby>。名百成。鍛冶鋳物師〔七〕。并銀金ノ細工也云々。(以上。群書類従本)。
: 四ノ御許者覡女也。卜占、神遊、<ruby><rb>寄弦</rb><rp>(</rp><rt>ヨリツル</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>クチヨセ</rt><rp>)</rp></ruby>之上手也。舞袖瓢トテ颻如仙人ノ遊。歌声和雅ニテ如頻鳥ノ鳴。非調子ノ琴ノ音。而天神地祇垂影向。無拍子ノ皷ノ声。而<ruby><rb>□□</rb><rp>(</rp><rt>紙魚不明</rt><rp>)</rp></ruby>野干必傾耳。仍天下ノ男女継テ踵来。遠近ノ貴賎為市挙ル。<ruby><rb>熊米</rb><rp>(</rp><rt>クマシネ</rt><rp>)</rp></ruby>積テ無所納。幣紙集不遑数。尋レハ其夫則右馬寮史生。七条已南ノ保長也。姓ハ<ruby><rb>金集</rb><rp>(</rp><rt>カナツメ</rt><rp>)</rp></ruby>。名百成。鍛冶鋳物師〔七〕。并銀金ノ細工也云々。(以上。群書類従本)。


同書は、人も知る如く、藤明衡が、当時(平安期の中葉)西京の猿楽師右衛門尉一家の、三妻、十六女、九男に託して、世相の一端を記したものであるから、直ちにその悉くが事実なりとは断ぜられぬけれども、内容は明衡が耳聞目堵したしたものと思われるので、大体において信用することが出来るようである。而して此の記事に由れば、卜占、神遊、寄弦、口寄等の呪術を行うに際し、舞袖は仙人の遊びの如く、歌声は頻鳥の鳴くに似て、琴の音は神祇を影向させ、皷の声は野干の耳を傾けさせるとは、かなり形容が誇張に過ぎているようではあるが、殆んど巫女か、舞伎か、更に傀儡女であるか、寔にその識別に苦しむほどのものが存するのである。試みに、下に大江匡房の「傀儡子記」の一節を抄録して、如何に両者の内的生活が近似していたかを証示する。
同書は、人も知る如く、藤明衡が、当時(平安期の中葉)西京の猿楽師右衛門尉一家の、三妻、十六女、九男に託して、世相の一端を記したものであるから、直ちにその悉くが事実なりとは断ぜられぬけれども、内容は明衡が耳聞目堵したしたものと思われるので、大体において信用することが出来るようである。而して此の記事に由れば、卜占、神遊、寄弦、口寄等の呪術を行うに際し、舞袖は仙人の遊びの如く、歌声は頻鳥の鳴くに似て、琴の音は神祇を影向させ、皷の声は野干の耳を傾けさせるとは、かなり形容が誇張に過ぎているようではあるが、殆んど巫女か、舞伎か、更に傀儡女であるか、寔にその識別に苦しむほどのものが存するのである。試みに、下に大江匡房の「傀儡子記」の一節を抄録して、如何に両者の内的生活が近似していたかを証示する。
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